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本願寺戦国時代の歴史

2014年06月10日 | 仏教
本願寺出版社の「季刊せいてん」2014夏号の表紙は、蓮如上人(本願寺第8代)影像。

 特集は本願寺の歴史② で、第4代~第12代門主までが紹介されています。

 第8代の門主・蓮如上人 ~ 第11代・顕如上人 の時代は、戦国時代。
 真宗(当時は、一向宗と呼ばれていた)門徒による一向一揆がおこり、門主は当惑、心痛の戦乱の世でありました。

 親鸞聖人を宗祖とする本願寺教団を明確に確立され、「御文章」(お手紙)などの伝道により、真宗が、大教団となったのが第8代蓮如上人の時。 
 その真宗の興隆をこころよく思わなかった比叡山延暦寺の衆徒によって、京都大谷の本願寺は破却され、蓮如上人は、越前吉崎(福井県)へ。その後、京都山科に本願寺を再建されます。

 第10代・証如上人の時、山科本願寺は六角氏らに攻められ消失。本願寺は大阪石山に移されます。これが、石山本願寺(現・大阪城付近)。
 第11代顕如上人の時は、織田信長に攻められ、攻防は、1570年から10年間におよびます。(現在、大河ドラマ「軍師官兵衛」では、本願寺が毛利の支援を受けて、抵抗しているところですね)
 しかし、いよいよ劣勢になり、1580年、本願寺は信長と和睦、石山本願寺を明け渡し、紀州鷺森(現・和歌山市)に移ります。
 さらに、豊臣秀吉の命により、貝塚(大阪府貝塚市)、天満(大阪市)と移転の後、現在の寺地・京都堀川へ。

 第11代顕如上人の往生の後、長男の教如上人が継職されるも、翌年、秀吉の命により、弟・准如上人があらためて継職され、
教如上人は、後に徳川家康の支援を受け、東本願寺を立てられます。

 「季刊せいてん」は、大変、わかりやすく解説くださっていて、楽しく勉強させていただきました。

 
コメント
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