勝どきのホテルに荷物を置いてから、ぶらぶらと月島方面へ。今日は祝日のため開いている店が少ない。事前に調査しておいた「U」へと向かう。この店は何度か前を通ったことがあるのだが、開放感のある東南アジアの屋台の風情を持つ店である。
店内テーブルの一角に座り、ビール・ポテトサラダ・焼き穴子(タレ味)を注文。
すぐさま出てきたポテトサラダは、一人には十分すぎるボリュームだ。しばらくして穴子が到着。こちらは程よい分量であるが、500円という値段から考えると非常にお徳だと思う。カリッと焼けたところと、タレの味を満喫。寿司でも穴子が大好きな私であるが、思う存分に食べられるのが嬉しい。
何かもう一品だよなと、緑茶ハイとマグロホッペ焼きを注文。いやな予感は多少していたのであるが、到着した品を見てやっぱりと覚悟を決めた。
一人客にはちょっとボリュームありすぎだろう。頼んだ以上残さないのが私の基本スタンスであるが、いけるだろうか。マグロ自体は赤身の肉っぽいところと、脂の入ったトロケ加減のところが混じっており、味つけもとても美味しい。段々、箸のスピードが落ちる所をネギの力を借りてほぼ完食まで持っていった。
この店は大勢で「今日は魚食うか!」というときにはもってこいだろうな。私のような一人客と隣にいたカップルにはちょっと辛かったかもしれない。そのカップルは女性の方から「どうしてこんな店に連れてくるのよ!」オーラがちょっとだけ出ていたのであった。
とにかく苦しく、店を出た私は佃のほうまでぶらぶら散歩をしてから、ぐるっと回って再び月島に戻った。次は前回行ってみた「AT」へ。先客が5~6名いる中に入り、消化促進の意味でジン+ライム+ビタース多目のカクテルをお願いした。かなりたっぷり入れてもらったビタースが効く。
先客はどこかの青少年委員会の人たちらしい。しばらく様子を見ていたところ、ぐでんぐでんになった1名を送るために何人かが帰り、河岸勤めの人と、ダンディな男性が残り、私も会話に混ぜてもらうことになった。ダンディ氏は昔の並木通り界隈のバーの様子を教えてくれた。バーテンダーに任せると持っていた金額なりに飲ませてくれたそうだが、金のあるときは3000円くらい払っていたそうで、30年も前の話であれば結構な金額だっただろうと思う。
河岸氏は昭和43年頃に「初任給が10万いくらだったかなあ」という話をしてくれたが、やっぱりサラリーマンより相当良い金額なのだなあと思った。本人曰く「人の寝ている間に働いているからね」とのこと。私の2杯目はスペインのオルホ(粕取りブランデー)。マティーニを「マスターこれはキツイね」と飲んでいる河岸氏にちょっとだけ飲ませると「うわー、臭い」という感想だった。3杯目はストラスアイラ12年。
さて、次に入ってきたのは二人連れの男女(付き合ってはいないらしい)である。話を聞いていると高知出身で、男性は数年前、女性は4ヶ月前に東京に来たらしい。で、何故かこの女性が積極的に私に話しかけてくるのである。ちょっとアネゴっぽい彼女だが(年齢は私より下)、これが高知の「はちきん」という気質なのだろうか?
非常に人見知りする私だが、ど真ん中から話しかけられて何だか波長が合い、楽しくなってきた。ジン+ライム+ソーダを追加して、もう少しお付き合いしてみることにした。男性の方も、連れてきた女性が周りの人とばかり話していたら面白くないのではないかと表情を伺って見たのだが、いい顔で笑っている。これはナイスガイだなあと話していると、私を含めた3人とも美術好きということが分かり、私は本日の美術館巡りの話をしてしまった。
さて、次に来たのがなんという偶然であろうか。私が前回この店に始めてきた時に話をした山本カントク氏(今日見たらそれほど似てなかった)ではないか。すっかり勢いのついた私は「大将、私のこと覚えてますか」と話しかけるわ、飲み物も追加するわとすっかり盛り上がってしまった。かろうじて翌日の仕事のことを思い出し、時間も覚えていないがホテルへ。
(20867歩)
店内テーブルの一角に座り、ビール・ポテトサラダ・焼き穴子(タレ味)を注文。
すぐさま出てきたポテトサラダは、一人には十分すぎるボリュームだ。しばらくして穴子が到着。こちらは程よい分量であるが、500円という値段から考えると非常にお徳だと思う。カリッと焼けたところと、タレの味を満喫。寿司でも穴子が大好きな私であるが、思う存分に食べられるのが嬉しい。
何かもう一品だよなと、緑茶ハイとマグロホッペ焼きを注文。いやな予感は多少していたのであるが、到着した品を見てやっぱりと覚悟を決めた。
一人客にはちょっとボリュームありすぎだろう。頼んだ以上残さないのが私の基本スタンスであるが、いけるだろうか。マグロ自体は赤身の肉っぽいところと、脂の入ったトロケ加減のところが混じっており、味つけもとても美味しい。段々、箸のスピードが落ちる所をネギの力を借りてほぼ完食まで持っていった。
この店は大勢で「今日は魚食うか!」というときにはもってこいだろうな。私のような一人客と隣にいたカップルにはちょっと辛かったかもしれない。そのカップルは女性の方から「どうしてこんな店に連れてくるのよ!」オーラがちょっとだけ出ていたのであった。
とにかく苦しく、店を出た私は佃のほうまでぶらぶら散歩をしてから、ぐるっと回って再び月島に戻った。次は前回行ってみた「AT」へ。先客が5~6名いる中に入り、消化促進の意味でジン+ライム+ビタース多目のカクテルをお願いした。かなりたっぷり入れてもらったビタースが効く。
先客はどこかの青少年委員会の人たちらしい。しばらく様子を見ていたところ、ぐでんぐでんになった1名を送るために何人かが帰り、河岸勤めの人と、ダンディな男性が残り、私も会話に混ぜてもらうことになった。ダンディ氏は昔の並木通り界隈のバーの様子を教えてくれた。バーテンダーに任せると持っていた金額なりに飲ませてくれたそうだが、金のあるときは3000円くらい払っていたそうで、30年も前の話であれば結構な金額だっただろうと思う。
河岸氏は昭和43年頃に「初任給が10万いくらだったかなあ」という話をしてくれたが、やっぱりサラリーマンより相当良い金額なのだなあと思った。本人曰く「人の寝ている間に働いているからね」とのこと。私の2杯目はスペインのオルホ(粕取りブランデー)。マティーニを「マスターこれはキツイね」と飲んでいる河岸氏にちょっとだけ飲ませると「うわー、臭い」という感想だった。3杯目はストラスアイラ12年。
さて、次に入ってきたのは二人連れの男女(付き合ってはいないらしい)である。話を聞いていると高知出身で、男性は数年前、女性は4ヶ月前に東京に来たらしい。で、何故かこの女性が積極的に私に話しかけてくるのである。ちょっとアネゴっぽい彼女だが(年齢は私より下)、これが高知の「はちきん」という気質なのだろうか?
非常に人見知りする私だが、ど真ん中から話しかけられて何だか波長が合い、楽しくなってきた。ジン+ライム+ソーダを追加して、もう少しお付き合いしてみることにした。男性の方も、連れてきた女性が周りの人とばかり話していたら面白くないのではないかと表情を伺って見たのだが、いい顔で笑っている。これはナイスガイだなあと話していると、私を含めた3人とも美術好きということが分かり、私は本日の美術館巡りの話をしてしまった。
さて、次に来たのがなんという偶然であろうか。私が前回この店に始めてきた時に話をした山本カントク氏(今日見たらそれほど似てなかった)ではないか。すっかり勢いのついた私は「大将、私のこと覚えてますか」と話しかけるわ、飲み物も追加するわとすっかり盛り上がってしまった。かろうじて翌日の仕事のことを思い出し、時間も覚えていないがホテルへ。
(20867歩)