バスと徒歩で京都国立近代美術館「稲垣仲静・稔次郎兄弟展」へ。仲静が若くして死んだ日本画家、稔次郎が型絵染めの人間国宝だった人だ。
仲静「豹」:大正6年の作品にして、この人にグインを描かせてみたくなった傑作。
仲静「猫」:猫の足元に赤い座布団があったり、かんざしが置かれていたり、女の影を感じさせる。
仲静「軍鶏」:傷ついていてもりりしい軍鶏。足元の茨のようなとげのある植物も、その心根を表しているのか。
仲静「三羽の鷺」:鳥にはとても見えないような、人格のようなものが感じられる。
仲静「舞妓」:皆、狐っぽい。そう見えたのか、皮肉を込めているのか。
仲静「花魁」:絹地に鮮やかな朱色である。これはちゃんと人っぽいが、目が妖しい。
仲静「大夫」:お歯黒で笑う女の怖さ。隣に甲斐庄楠音の作品があるのも頷ける。
仲静「自画像」:一番しっかり描いているのは、斜めを向き、右目はほとんど暗闇に隠れている。まなじりにしわを寄せ、口は強く引き結ばれている。25歳で死去とか。
稔次郎「ポスター原画」:京都の観光ポスターで「SeeKYOTO」の文字と、舞妓・金閣寺が描かれている。まあ、観光ポスターってこうなってしまうんだね。
稔次郎「京都駅」:昭和30年代のあっさりした京都駅舎。
続いて、19世紀の写真を集めた「ローマ追想」。きっちりした写真が100点以上展示されている。
作者不詳「ティトゥス帝の凱旋門」:凱旋門の写真が沢山あったのだが、戦勝で帰還するたびに作るものなのか?
ピエトロ・ドヴィツィエッリに帰属「スペイ階段」、作者不詳「トレヴィの泉」:今も全く変わらぬ姿である。
作者不詳「ポポロ広場」:広場の周辺の塔や石像がはっきり写っている。これも今も変わらない姿であるのだろうか。西洋の都市には永遠(大げさだが)を考えさせるところがある。
フレデリック・マルタン「ウェスタ神殿」:ダゲレオタイプを元にしたアクチアント。細かすぎて良く見えない。
土田麦僊「渡欧絵葉書」:これは古代都市ローマというより、近代都市ローマを思わせるセレクションになっている。
目が非常に疲れて、老眼というものを感じさせる展覧会であった。近代美術館の窓からは、平安神宮参道の大鳥居が見える。
次は京都市美術館「円と方」。コレクション展である。
(三代)伊東陶山「牛、飾皿一対」:片方に牛が描かれ、その綱がもう一方の皿の中にある杭に結ばれた、遊びのある作品。
正井和行「月蝕」:足元には朽ちた木、天井にはかすかに赤色になった月が見える。
村上華岳「阿弥陀」:これは大変立派な三尊像と雲中菩薩である。
不動茂弥「机上の対話」:何となくダリを思わせる色使いだ。
竹内栖鳳「天女」:天女の衣の流れが、まさに「円」と言えよう。
梶原緋佐子「静閑」:まさに色彩と空間の「間」が表現されている。
小田英之「Melancholy」:さまざまな球体を小物箱に収めたようなCG作品。一方では、汚染と爆弾のイメージが描かれている。
あまり見たことのない作家も多く、ちょっと嬉しい展覧会であった。続いて、京都市美術館別館でやっている「日本・ポーランド国際版画展」も見ていこう。日本の作品は、以前札幌のプラニスホールでやっていた「日本版画協会巡回展」で出品されていたものもあるようだ。
トマッシュ・ダニエッツ「周辺8」:グレーの色彩。ピラミッド形の途中がカットされ、墓を思わせるような容器になっている。
クシシュトッフ・キヴェルスキ「礼拝堂」:黄金の縦線で礼拝堂を描き、空の緑と青色に映えている。
同「大聖堂」:中空のハイテクビルの趣きである。
ヴィトルド・ヤツェクフ「ハウス」:電車の座席を撮影したものだろうか? 何となく人間の不在を感じる。
ポーランド版画も2000年代になると、昔の東欧の陰鬱さは多少影を潜めているような気がした。続いて、日本の作品。
田中良平「壁」:竹と木による日本庭園を描いた「和」の作品。
齋藤修「Neverland-Collapse-Ⅰ」:クリスタルが宇宙を飛ぶ美しさ。
坂爪厚生「カメレオンを飼う」:網目状の頭から飛び出ようとするカメレオン。何かの思想のイメージか。
山本桂右「紅葉の岩船寺三重塔」:直球で綺麗だ。
武田あずみ「A棟」:不思議な扉が連続して配置され、どこに行けばよいのだろうか。
二階堂宏「出現」:装甲タイプのサイ。小口木版の細かさが素晴らしい。
いやー、しかし、点数が多くて疲れた。行ったんホテルに戻ってチェックインしよう。残念ながら雨が降ってきた。