いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

バカが意見する世の中

2004年09月07日 06時04分52秒 | 

「バカが意見する世の中」!という帯宣伝の『すばらしき愚民社会』小谷野敦を買いに本屋に行くが、なかった。「バカが意見する世の中」なんてブログ界への9・11テロみたいで、ちょっとびくっとする。かわりに『「テロル」と戦争-<現実界>の砂漠へようこそ-』ジジェック、と書物復権・8出版社共同復刊企画の帯をもつ『保守主義の社会理論-ハイエク・ハート・オースティン-』落合仁司を買う。後者は、保守主義に理論的根拠なんてあるのかなぁ?今保守だと自認している人って全然「保守」じゃないよねぇ!という素朴な疑問があるから。つまり保守なんて『幻像の保守へ』by西部邁の保守でしかありえないんだと思う。

で、小谷野敦と落合仁司は西部邁でつながることがわかった。落合本のあとがき。小谷野も別途西部との酒交をどっかに書いていた。二人とも西部と付き合いがあるんだって。おいらが初めて西部を知ったのは、忘れもしない、角栄ロッキード事件裁判の判決が出た直後。『まず罪なきもの者が石を投げよ』と福田恒存の論文が載った雑誌『諸君』だった。このとき初めて『諸君』を買った。その号の後ろの方に「国家像」がどうたらこうたらというパネルディスカッションが載っていた。田中美知太朗もいた。そして西部がいた。その掲載での西部の言い分はとてもエラソウだった印象を持った。ただ言い分に重ねて写真の印象が強烈だった。つまり耳を隠すやや白髪交じりの長髪の東大助教授。その時点で札幌出身ということがわかった。がどこの貴族様だろうという意識をもったのを覚えている。だって、札幌の西部という名家を探しただよ。マジ。ながった。おいらは札幌4代目で本家は時計台やテレビ塔からそう遠くないところにある(西部がよく本をぎって#1いた富貴堂があった土地:現パルコ:の地主は知り合いだったぞー)。そして『大衆への反逆』を読んだ。びっくりした。貧乏の出だとわかった。だからああいうことも言えるんだなあと思った。芸達者だったのである。「昼飯というものを喰ったことがない」と豪語してたが、後に妹に指摘されたらしく。ちょっと訂正してたのにはにこにこできた。

それ以来10年あまり、西部の著作はほとんど読んだ。『ソシオ・エコノミクス』だって読んだぞゥ。モンドリアンの展示会にも行ったぞー(わかるかな?)。でもそんな商品たる書籍購入者がひとりで読書している間、落合センセや小谷野センセは、西部センセの謦咳に接し、あっ・もとい、酒臭い息に接し、脳みそさ活性化さして、著作をのちに世に送るのですた。

ああ!それで! それらを、また! おいらが! 

買っている! ああ!


ああ! 購書者に幸あれ! ああ!


バカが意見すてみますた。

じゃー、がんばって。

#1:ぎる=万引きする、北海道弁

PS 【西部とインド】西部はインドに行った(1980年代中・後半?)。感銘を受けたことを、当時付き合い始めの田中美知太朗に言うと、「そういう意趣なものに惹かれる(お調子者)はよくいます」みたいにピシャリとされた、と田中の追悼文に書いていた。ただし、インド旅行そのものはまとまって文章になっていないと思う。