いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

伊達巻柄生地

2007年01月05日 20時01分45秒 | 仙台・竹雀・政宗
日本民族は偉大な民族である。アメリカ帝国主義が長期にわたって自分の肩に乗りかかっていることを絶対に許さないだろう。日本人民が必ず自分の国土からアメリカ帝国主義を追い払うと信じている」  毛沢東、1964年1月の談話。

『ビートルズを知らなかった紅衛兵』p114. より。



■伊達巻
かまぼこと卵焼きのあいの子。 かまぼこは魚のすり身からつくるのでアミノ酸の塊。そのうまみ成分が舌を狂喜させるこというまでもなし。一方、砂糖の入った卵焼きの甘みも、これまた、舌を狂喜させるこというまでもなし。

その両刀使い的食べ物が、伊達巻。

たぶん、成立当時、たぶん明治初期、名無し。でも、そのラディカルにぬほん庶民の舌を狂喜・乱舞してやまない性格を、思わず、伊達もの!、としてしまったと思われ。

ウィキペディア(Wikipedia) 伊達巻 

伊達巻という名前の由来については、

1)伊達政宗の好物だったことから伊達巻と呼ばれるようになったという説

2)普通の卵焼きよりも味も見栄えも豪華なために、洒落て凝っている装いを意味する「伊達もの」から伊達巻と呼ぶようになったという説

3)女性用の和服に使われる伊達巻きに似ていることからこう呼ぶようになったという説
など諸説ある。


たぶん、2)だろう。 この前まで、ぬほんずんは、あの「かっぱえびせん」を、やめられない・とまらないとありがたがっていた民族なのである。 貧乏舌マンセー! 近代以前、いや戦前でも、砂糖の甘さ、あるいは、肉汁のうまみを感受することなくすんでいったぬほんずんは多かったであろう。 伝統文化を尊重する美しいぬほんを目指すものども、マンセー!

今日の課題;
なぜ、平成ぬほんずんはみんな銀の匙を咥えて生まれてきたかのごとくふるまうのであろうか?