今日5/19は、つくば記念日。
今から、47年前の今日、筑波研究学園都市建設法に、ひろひとさんが書名、押印; ぎょめーぎょじ (愚記事:ひろひとさんのゴーサイン)。
当時、通産省、科学技術庁、建設省、環境庁、文部省など諸官庁傘下の国公立研究所が「筑波研究学園都市」に移転、あるいは、新設した。
もちろん、当時、「つくば市」はない。
なお、「つくば」で最も古い研究所は、現在の気象研である。今の場所(長峰 [1])に戦前からあった。その今の長峰の気象研を中心に今の産総研や環境研があるのだ。
[1] つくば市に多少なじみのあるひとでも、あるいはつくば住民でも、つくば市長峰という地名は知らないのではないだろうか。
どうでも、いいことだが、今の産総研の敷地の中に、当時の桜村と谷田部町の境界がある。
さて、奇を衒う当ブログでは、筑波研究学園都市に参画しなかった「国研」(国立研究所)に言及する;
世田谷区にあった。 先日、散歩してて見つけた。 それまで、その研究所の存在は全く知らなかった。 それは今でも国研なのだ。 つくばの国研はみんな独立行政法人化したのに。
「衛生材料廠跡」という碑を見て、さては、旧陸海軍の研究所、あるいは生産組織を厚生省が引き継いだものかと、散歩の時は、思った。だって、戦場で医薬品は激烈に需要されるでしょう。
(今の若い人は知らないと思うが、20世紀後半には厚生病院というのがあった。厚生省管轄の総合病院だ。 その厚生病院というのは、敗戦前はすべて陸軍病院、あるいは、海軍病院だったのだ。 ポツダム宣言の受け入れにより大日本帝国陸海軍は無条件降伏し、解体した。その残滓としての軍の病院が、戦後の厚生病院である。 今の古い人! 知ってた?)
さて、「衛生材料廠跡」=国立医薬品食品衛生研究所の沿革の問題に戻る。
家に帰って、ググった。ちがった。 旧陸海軍の研究所だろうというおいらの邪説。
国立医薬品食品衛生研究所は、明治7年(1874年)に医薬品試験機関としての官営の東京司薬場として発足した、わが国で最も古い国立試験研究機関である
この国立医薬品食品衛生研究所は、1970年の、都内の国研を筑波研究学園都市に移転させ、以って、都内の過密を緩和するという国策から免れたのだ。 おそらく、国立医薬品食品衛生研究所職員が、「なんで世田谷から筑波山麓くんだりに行かないといけんだよ!」とブーたれたと、おいらは、邪推している???。そのブーたれに厚生省幹部は負けたのだ???。