いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

常磐線あれこれ

2016年08月14日 20時00分53秒 | 筑波山麓


ネット上でパクった画像

つくば時代、常磐線ワンカップ大関伝説はよく聞いたが、実際、おいらが見たことは1度もない。

■ 1983年、夜は1時間に1本

これもネット上で知った情報。常磐線、昔は本数少なかった。

1983年の時刻表を調べた。19:00以降は上野発の(今で云う快速)列車は1時間に1本。

なんと、普通列車の便数と寝台特急ゆうづるの便数がほぼ同数。

1983年は筑波万博 [関連愚記事群] の2年前。筑波大学(最寄り駅:荒川沖)は開学している。

もっとも、別途、常磐線・普通(当時の呼称は国電)が取手まであった。「国電」で我孫子あるいは取手まで行って、我孫子発の列車に乗ればから土浦へ行けたはず。つまり、当時の土浦への便数は事実上1時間に2本。

現在は19:00以降は1時間に4本程度。



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