いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

この「子」の100のお祝いに;D論の被引用数が100を超えた、あるいは、死んだ子の年を数える。

2019年12月26日 18時06分00秒 | ぐち

2011年の記事に「この「子」の50のお祝いに、あるいは、死んだ子の年を数える。」というのがある。

内容は論文の引用数についてのこと。研究者は論文を書く。その論文は他の研究者によって引用される。たくさん引用される論文は学術に貢献していることを示す。なので、研究者はたくさんの論文を書くことを目指し、その論文がたくさん引用されることを望む。その両方が研究者の業績ということになる。

研究者は博士論文(D論)を書いて学位を取得し、ポスドクをやり、アカデミックの常勤職(パーマネントのポスト)の獲得を目指す。おいらは、アカデミックの常勤職を得ることができず、ポスドク任期切れとなり、無職を経て[1]、産業界で、10年の非正規雇用職で生きて来た。のち、「正社員」となり現在に至る。

[1] 2001年 9.11、米国同時多発テロ事件、十年ひと昔。あの時おいらは失業者で、death valleyのとば口だった。

さて、おいらをアカデミックの常勤職を得ることができない運命にしたD論の一部の論文とポスドク時代の論文2報が、20年を経て、今年、引用数100を超えた。下記表で「前世」というのがアカデミック時代、「現世」が産業界での論文である。

「前世」と「現世」は分野が全然異なる。文学研究で例えれば、英文学と仏文学くらい違う。したがって、学部 or 修士を出て今の「現世」の分野の産業界に入っていれば、会社でよほど出世できたであろう。「前世」は全くもって無駄であった。今でも奨学金を年20万円返している。本当に人生を棒に振ったと思っている。

20年前のD論は今でもコンスタントに毎年5報程度に引用される。それらの論文をみて、20年前においらが携わっていた分野の現在の動向がわかる。 おいらの論文を引用している最新の論文を見ることだけが楽しみだ。


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