いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

大手町・丸の内界隈

2012年04月08日 12時22分24秒 | ぐち


    ―界隈―

年度が変わった。新年度の最初の1週間。

いつものように筑波山麓でビーカーを洗い、そして大手町・丸の内界隈に数日出張った。

実験する人生、実験される人生。(⇒ビーカーを洗うおいら

■ flash back of my life

おいらが、大手町・丸の内界隈に初めて現れたのは11年前だ。

超ブラック企業の《非公然メンバー》としてつんぐん(賃金)労働を行うことにしたのだ。

何の因果か、すほん(資本)の手先 (⇒ブラックOK!)。

労働内容は、《死の谷渡り》。利益を上げるための技術の研究開発。

「資本」と「技術」のからまる現代哲学の一級の課題の現場に放りこまれたのだ。

「資本」と「技術」はおいらの成熟する場所だった(???)。

 技術にはそれ独自の論理があり、それに従って自己展開していく。どこまでも自己を分化させ、自分のもつすべての可能性をとにかく現実化しようとし、その結果が人間にとって有益であるか有害であるかなどはまったく顧慮しない。技術とはそういったものではないかと思うのです。
 資本というのも同じです。資本はそれ自体の論理をもって、自己を増殖するところならどこにでも入りこんでいき、一種の自己運動を起こしているように思われます。技術もそれと似たような自己展開の運動を起こしているのではないでしょうか。
 木田元、『哲学は人生の役に立つのか』 ❖技術も資本も人間にとって不気味なもの 

 (⇒でも、資本家さまに技術開発で雇われているおいらの技術は全然「自己展開」しないし、売上も「自己増殖」しないよ。

つまりは、不気味なものと闘う日々が始まったのだ。 もっとも、向こう様だって不気味なおいらを見て、びびったかもしれない。

"書物に傍点をほどこしてはこの世を理解して行こうとした"幼稚な夢を見ていたおいらは、罰が当たったのだ。

罰ゲームとしてのおいらのずんせい(人生)

さらには、「資本」と「技術」のリャンファン(二翻)に加え「グローバル化」が加わりサンファン(三翻)付いて、資本の手先として、しかも《非公然メンバー》、がんばってきた。⇒インドの町工場でがんばるおいら。 《公然メンバー》さまで英語で仕事ができる人が少ないのだ。

そして、すほんのご主人さまは変わり続ける。

タライまわしだ。でも、大手町・丸の内界隈の範囲内。ぬっぽんブルジョア村の狭い世界だ。12年通った(月に数度のペース、もちろん本業はずっけん[実験]だ)。
Death valley稼業についての日記。おいらは、「・役に立つこと ・お金になること」のためにバイトでがんばっている。

■ A day in my life at the Capital-Village

今春からは、《公然メンバー》だ。 

日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者としてがんばりたい。

そして、新入社員研修(一部)を、22-24歳の《公然メンバー》嫡子さまと一緒に受講させられた。

よんじゅうなかば過ぎで、新入社員研修を新卒嫡子さま方と受ける。

おいらは最高齢 freshman だろう。 キモイ!

彼らは、おいらが大学出たころ生まれたんだね。    うーん。

ありがとう!運命。実験する人生、実験される人生

ひとつ、おいらの役割があったの

講演する会社幹部が、「私のようなロートルが...」と言っていた。

今の若い人はdictateできなかった(聞き取れなかったなかった)だろう。

おいらは、ちゃんと、受け止めたよ。

the very ロートル in the freshmen だからね。

 



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