いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

バカは何でも知っている

2011年12月25日 16時04分12秒 | ぐち


 ―昔のコダックカメラの広告 [1] ―

「知らざるを知らずと為す是知るなり」 論語

 「化学工学」を誤解していた村上陽一郎さん

どうでもいい話です。

化学工学という分野があります。化学工学は応用化学や工業化学とは異なる学術分野です。お互いの分野は隣接していたり、重複している部分もありますが、disciplineが違います。disciplineってわざわざ原語で書くのは訳語が誤解を与えるからです。disciplineの日本語の意味は「学問の分野」というのがこの場合一番ふさわしいように思えます。ただし、disciplineの「訓練、訓練法」という意味合いが落ちてしまいます。disciplineというのは学問の専門分野が扱う対象ばかりではなく、その専門分野の専門家となる訓練方法および訓練で習得する内容も含まれます。

そこで、化学工学という専門分野は、実は、かなり明瞭なdiscipline(研究対象と訓練内容)を持った分野です。これは隣接の応用化学とは極めて異なることです。応用化学という分野のdisciplineは事実上ないのも同然です。大学の学科にはありますが。つまり、応用化学という分野にいる研究者に共通の基盤は基礎化学以外ほとんどありません。化学を基にしてれば何でもありという分野です。例えば、応用化学という看板を出している学科に属する研究室はやっていることはばらばらであるばかりでなく、研究のための学習(訓練)内容もばらばらです。有機化学と無機化学の壁もあるので、共通の訓練法も極めて限られたものです。一般基礎化学くらいと思われます。そもそも応用化学科の教官で、学部時代の出身が化学系ではない人もいます。

さらに工業化学というのもあります。これも化学工学とは違うものです。応用化学や工業化学というのは役に立つ化学物質を開発したり、合成方法の最適化などを研究する分野です。一方、化学工学というのは、実際に量産するためのプロセスを決めて、そのプロセスを実現する実装を決めることです。端的に言って、プロセスエンジニアリング、プラントの設計と具現化のためのエンジニアリングのことです。これは米国で発生し、事実上第二次世界大戦後の石油化学産業の興隆に伴い発展したものです。端的に言ってこういうものです↓(きれいですね。おいらのdeath valleyでの仕事場はこんなの

化学工学の明瞭なdisciplineは、プロセス計算やプロセス設計です。そのプロセスにはいろいろな機能があります。その機能を単位操作というサブプロセスに分けて、各々機能を検討し、各々の単位操作を繋げ、全体のプロセスを作り上げる方法です。ですから、化学工学のdiscipline=訓練は、化学ばかりでなく数学や熱力学、流体力学のような物理、機械工学が主となります。化学工学とはこういう学問分野です。

こういう定義で次の村上陽一郎さんの文章を読んでみましょう。

 例えば日本における工部大学校のもう一人の秀才下瀬雅ちか(1859-1911)を考えてみよう。彼は安芸藩の藩士の息子として生まれ、明治十年(1877)年に上京して工部大学校に入学、化学課程を専攻した.貧困のなかで、学業を中断したりしながら明治十七年(1884)年に卒業、直ちに大蔵省印刷局に奉職して、印刷用のインキの改良に努めたが、明治二十(1888)年海軍省に転じ、火薬の研究を命じられ、努力の末に明治二十一(1888)年にはある程度の成果を得た.彼の着想は当時は軍事機密として内容が明らかにされなかったが、結局ピクリン酸を主剤にしたものであった.これは改良を重ねて、明治二十六(1893)年に日本海軍の制式火薬として採用されることになった.ピクリン酸を爆薬に使うことは、必ずしも彼の独創ではなく、すでにフランスやイギリスの軍隊で試用されていた.下瀬はこれを弾丸や水雷に充填する方法に工夫を凝らし、世界に先駆けてこれに成功したものである。これを充填した魚雷は、日露戦争の際に非常に効果を発揮し、ロシアを恐れさせたが、やがてトリニトロトルエン(TNT)に取って代わられることになる.

 この実例だけでも、化学工学が、軍事と直接関わることは理解できるし、電信もまた軍事用に重要な意味を持つものであった. (強調、いか@)
「工学の歴史と技術の倫理」、p170-171、村上陽一郎、岩波書店、2006年

化学工学という言葉の用法を間違えています。爆薬の開発に化学を応用したこの例の場合、化学工学という言葉の代わりに工業化学を用いるべきです。

この間違いは「理解」はできます。村上さんは化学を工業に利用するための分野を化学工学と思い込んでいるのでしょう。しかし、上述したように化学工学とは明瞭な定義をもつ分野で、村上さんの上記の文脈にはふさわしくありません。

ここでわかることは、村上さんが化学工学という言葉の定義の内容に立ち入ることなく、つまりは化学工学のdisciplineの詳細を調べることもしていないことです。雰囲気で化学を工業に利用するための分野を化学工学と思い込んでいることがわかります。経済史学と経済学史が全然違うように、化学工学と工業化学だって違うんです。

以上のことは1年ばかり前に気付いたのですが[2]、まぬけだなぁくらいに思っていました。もちろん、ひがみ根性旺盛なおいらは、有名な元東大教授さまの瑕疵をつついては、どうも頭が悪いぢゃないかとつぶやいて、豚のように眠ったのでした。

しかし、今年、このまぬけさが大変な事態の原因を彩る片々のひとつであるとわかりました。

すなわち、村上陽一郎さんは、経済産業省総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会の部会長であったのです。

おいらは、驚愕しました。

なぜ、化学工学を知らなかったことが原発事故に関して問題かというと、原子力発電を担うのは原子力工学と思われています。間違いではないです。でも、その原子力工学の原理、プロセスを設計し、実装を機械工学で実現するという本義は、化学工学から派生したものです。原子力発電所のことを所詮は湯沸かし器、とい言う人がいます。そういう観点は重要です。ただ熱源に核分裂反応を用いているだけで、その熱源の制御、ポンプ、配管、冷却装置などは化学工学の知見を基にしています。ちなみに、かの班目春樹さんは、原子力工学や核物理の出ではなく、機械工学の出です。この機械工学は上記のプロセスを実現するための実装を研究する分野です。原子力発電所の安全管理をする場合重要なのは核分裂そのものばかりでなく、発電=蒸気の発生、制御のプロセスの安定運転の維持が重要です。今回のメルトダウンも冷却プロセスの不全が直接の原因でした。

つまり、村上陽一郎さんは原子力発電の実際がどのような学術内容、あるいは技術内容であるかの詳細を知らないうえに、さらには原子力発電に携わっている技術者や工学者が各々どのようなdisciplineを持ちながら参加しているのかを知らなかったのではないでしょうか?

安楽椅子にすわり、だいたいこんなもんだろうぐらいに各disciplineを想像しながら(バカは何でもしっている)、右から左に会議を流していたのではないでしょうか? まさに、盲人、蛇に怖じず、おバカ、原発、ばかりではなく科学と技術あるいは知識一般を恐れず、です。つまり、知らざるを知らずと為すことへの査定の欠如です。これまた、「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力(西部邁)」をせずにこれまできたのかという典型例です。

村上陽一郎さんは科学と技術に関する"権威"として原子力安全・保安部会の部会長に政府によって祭り上げられたのだろう。そしてあんまりものを知らないのに原子力安全・保安部会の部会長になった。その権威さまの科学や工学や技術に関する理解は観念的、抽象的とういうばかりでなく、しばしば寓意的、比喩的なもので、とても安全などを考察する力量はないように見える。こういう部会長が原子力の安全を担ってきたのだから、日本の原子力安全政策の実際、つまりは「お猿の運転手」が原発の安全を導いてきたことが、今回の原発事故により、露わになった(真理=アレーテイア=隠されたものが露わになる)のだ。


[1] 今年初夏飛行機で、座席の雑誌にコダックの最盛期の広告が特集されていた。

[2] もちろんおいらが村上さんの本を読んで気付いたわけではなく、雑誌「現代化学2008年12月号」の読者投稿欄にあった川井利長氏の指摘で気付いたのである。



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