いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

in 1952年@ぬっぽん"主権"回復, ロンドンで ひと冬, over 1万人死亡、大気汚染で

2013年03月13日 22時04分24秒 | 欧州紀行、事情

おいらは、2006年5月に書いた;

■事実、戦後一貫して、4月28日を「日本独立記念日」として祝う風潮は、左右ともに、なかったといえる。む しろ、4月28日を「日本独立記念日」として祝うのを嫌ったのは、保守・体制派であろう。だから彼らは1970年代になって、日帝時代の紀元節を、「建国 記念日」として復活させた。それは占領されたことに目をそむけたい心理を動機としている。従って、竹村らの感覚と「建国記念日」を復活させ日本は2600 年前から「独立」していたと主張したい従来保守派には温度差があることが明らかになった。これは、竹村が対米従属体制においてフルブライトの資金支援で留 学して米国流に生きることを実践し受益してきたことに加え、日本社会全体が戦後数十年たって米国流の生き方が人間の善い生き方という暗黙の合意が拡散浸透 し、血肉化してきたことを背景とする。 (愚記事; 4・28伝説 

ニュース: 安倍晋三内閣、主権回復の日の式典開催を閣議決定

サンフランシスコにおいて、主権を放棄する=国家主権の発動たる戦争の放棄という憲法を抱えて、主権者たる旧敵国=占領軍諸国と調印したのが、1951年。その発効が1952年4月28日。

「国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごとを認めることこそが有害であろうと思うのであります。」という思想を日本が甘受することが、「主権回復」だっていうんだから...。 このねじれが戦後日本のアルファでオメガである。はたまた、阿吽であり、この阿吽の呼吸こそ、「豊かで、平和」なぬっぽんを「実現」してきたというのも、ねじれに捻じれ切ったぬっぽんの元吉/元凶である。

■ まぁ、ぬっぽんのことは置いておく。 そして、話は飛ぶ、戦勝国の公害大量死へ。 1952年つながりというだけで。

この冬、北京をはじめ中国主要都市での大気汚染、公害問題が急激に大問題となった。

でも、他人事と嗤ってばかりもいられない。

なぜなら、ぬっぽんでも公害問題が深刻化した時代があった。「世界の工場」となった時代だ(関連愚記事;水俣病患者に土下座する石原慎太郎環境庁長官)。 中国も世界の工場となった。公害問題だっておきるだろう。

   子供叱るな来た道だもの、 年寄り笑うな行く道だもの

21世紀の世界の工場たる中国の公害問題の発生は、資本主義経済の発達には、やはり、一般則があるのだ、すなわち「経済学」はあってもいいのだ、と教えてくれる。

それにしても、最近しったよ。

日本が米英など旧敵国との講和条約が発効したその1952年に、旧敵次席の英国さまはロンドンで、わずかひと月あまりの間に、大気汚染=スモッグで、1万2千人が死んだって。

知らなかった。 ⇒ wiki ロンドンスモッグ

1952年12月5日から12月10日の間、高気圧がイギリス上空を覆い、その結果冷たい霧がロンドンを覆った。あまりの寒さにロンドン市民は通常より多くの石炭を暖房に使った。同じ頃、ロンドンの地上交通を路面電車からディーゼルバスに転換する事業が完了したばかりだった。こうして暖房器具や火力発電所、ディーゼル車などから発生した亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質は冷たい大気の層に閉じ込められ、滞留し濃縮されてpH2ともいわれる強酸性の高濃度の硫酸の霧を形成した。

大スモッグの次の週までに、病院では気管支炎、気管支肺炎心臓病などの重い患者が次々に運び込まれ、普段の冬より4,000人も多くの人が死んだことが明らかになった。その多くは老人や子供や慢性疾患の患者であった。その後の数週間でさらに8,000人が死亡し、合計死者数は12,000人を超える大惨事となった。

知らなかったょ、戦勝国の公害大量死。

その数カ月後、明仁・皇太子はそのロンドンを訪れた。


愚記事; プリンスオブやまと (当時) が、尖兵だったのだ。  noblesse oblige! 






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