愚記事に「1945年夏の敗戦、東京入城の米軍は八王子方面から」がある。
要旨は、敗戦後、東京に入城した米軍の経路について、のちに東京入城をする第1騎兵師団は9月2日に横浜港に上陸し、次に相模原の座間など日本軍の諸基地に進駐し、一旦留まり、9月8日に八王子を通り、府中、調布を進軍、都内に入った。多摩川をどこで渡ったかは依然わからない。
この記事ではなぜ八王子を通り、府中、調布を進軍、都内に入ったかは書いていない。今回、事由が、おいらにとって、わかった。とっくに公知のことだった。
▼ コロネット作戦/ブラックリスト作戦
コロネット作戦は日本本土占領ための上陸作戦の戦争計画。1945年8月2日に決定される。1946年3月1日に実施予定だった。しかし、日本が降伏したので、実現しなかった。一方、ブラックリスト作戦とは、降伏した日本への上陸作戦と日本各地への展開の作戦。これは実施された。
コロネット作戦の侵攻予定経路 (ソース)。主力軍は相模湾に上陸し、八王子を抜いて、関東平野北方=関東平野の扇の要を占拠する計画だったとわかる。
↓ 上の図の八王子を中心とした拡大図
コロネット作戦では相模湾から大磯-茅ヶ崎海岸で上陸し、相模原を北上し、八王子に向かうことを計画していた。実際の東京入城は、すなわちブラックリスト作戦は、横浜から上陸し、相模原の日本軍基地に進駐した。さらに、マッカーサーと第11空挺師団は空から「厚木」航空基地に進駐した。
■ コロネット作戦の話は、西村京太郎の本にも書いてあった。愚記事;(東京)陸軍幼年学校、1945年(昭和20年)、あるいは、8月2日の空襲の回想
西村京太郎が15歳のとき在籍していた八王子の陸軍幼年学校は、上陸してきた米軍を邀撃するはずであった、との回想。
西村京太郎、『十五歳の戦争』より