いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第1週

2024年03月30日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第1週

■ 今週の武相境

今週はじめ、武相境を去った。最後の夜は南町田の「万葉の湯」(web site)に泊まった。このあたりは、境川が武蔵の国と相模の国の境を成す、武相境。

▼ 東京・湯河原「万葉の湯」町田(web site


「万葉の湯」(web site)より

宿は東名高速の傍、保土ヶ谷バイパスを眼下とする。


朝ごはんの会場。

■ 今週の「貨物」

猫のみけちゃんを連れて、羽田(東京)から板付(福岡)まで飛行機で行く。みけちゃんは「貨物」扱いで搭乗だ。


板付(福岡)に着いた直後。この網は全日空(ANN)のもので、返さなければならない。というのも、網を外すのに難儀していたので、「網ごとでいいです」と引き取ろうとすると、「いいえ、網は返していただきます」の旨の御返事で気づいた。

▼ 「貨物扱いの動物(ペット)輸送について(国内)」 (ANA web site


上のANAのweb siteより

▼ 羽田にて

▼ ↓ 羽田(東京)⇒板付(福岡)

▼ ↓ 新居にて

朝から、10時間あまりケージに閉じ込められていたみけちゃんは、ケージの蓋を開けても、そのまま固まっていた。

■ 今週のレコンキスタ史跡探訪+アルファ


小倉城

おいらが今週から住む街、北九州市は平城がある。平城かつ天守閣がある城がある街に住むのは初めてだ。これまで住んだことがある仙台は平城ではなく、かつ天守閣もなかった。つくば市には城はなかった。ただし、細川興元(おきもと)の谷田部陣屋があった(愚記事:谷田部細川一万六千石)。ところで、何とこの小倉城の初代城主は細川興元だったというのだ。今週、知った。小倉城を築城したのが細川忠興。細川幽斎の長男。忠興は本陣の中津城に居したので、支城を次男の興元に任せたらしい。

さて、レコンキスタ。小倉城は幕末維新・戊辰戦争より以前に消失した。さらに、戊辰戦争でもやられた。その後は、日本全国の大きな城郭がそうであったように大日本帝国陸軍の駐屯地となり、敗戦後は占領軍・米軍の駐屯地(第24歩兵師団)となった。小倉城址も同様。ただし、米軍が撤退すると(昭和34年;講和後7年も居たのだ![情報元])、すぐに対応。ただし、「大日本帝国」を飛び越えて、反動化し???、江戸藩政時代の小倉城の再建築となった。米軍撤退の3年後には、鉄筋コンクリート製の、小倉城ができた。

■ 今週のレコンキスタ史跡、そのまま?

小倉城庭園(google

 池を巡りながらさまざまな景観が楽しめる「池泉回遊式」庭園で、池面が周囲よりかなり低い、いわゆる「のぞき池」となっているのが特徴です。
 「浮見の庭」ともよばれ、書院の広縁から庭全体を見渡すことができます。(web site)

日本の伝統的な建築様式である書院造りの本格的木造建築物です。
「上段の間」「一の間」「二の間」「取次の間」などからなり、それぞれ18帖の「一の間」と「二の間」は襖と欄間で仕切られ独立した座敷として使用することができます。
また、広縁の一部が池に張り出す「懸造り」になっているので、眼下に広がる庭の眺めが楽しめます。web site

■ 今週の九州

福岡県に来て、初めてみた食品群。ただし、多くが県外の会社だった。でも、九州。


みどり牛乳 九州乳業株式会社

「お城納豆」、「お城とうふ」。丸美屋(web site)と知る。丸美屋は熊本県の納豆メーカーであり、東京都に本社を置くふりかけ等のメーカーについては「丸美屋食品工業」とは違う(wiki)。

リョーユーパン。web site

シロヤ オムレット web site

■ 今週の定食:ぬか炊定食

骨ごと煮たもの。骨は、缶詰のもののように「ホロホロ」ではなく、結構ガチっとしています。しっかり嚙まないと、喉に引っかかってしまうかもしれません。

ぬか炊=ぬかだき:
「ぬか床炊き」とは、いわしやさばを先ず醤油で煮て、最後に床を入れて味付けをする。江戸時代、小倉藩主小笠原公から現在まで伝わる北九州小倉の郷土料理です。
ぬかだきは骨まで柔らかく煮込んであり、まるごと食べることが出来るので、カルシウム摂取も期待できます。また、ぬか床は乳酸菌を多く含んでおり、昔から保存食として重宝され、健康や美容によいと言われています。引用元

■ 今週の九州の半額

九州で知ったもの。ごぼうの天ぷら。ごぼてん。

ごぼう天ぷらはどこで発祥したのでしょうか?

ごぼ天の発祥は明治から戦前まで福岡・天神に店を構えた「おとちゃんうどん(現在は閉店)」が発祥とされています。 ごぼ天が受け入れられた理由は、博多で好まれる軟らかい麺は消化がよくヘルシーで、ごぼうも滋養強壮にいいということから、健康志向が理由ではないかと言われています 情報元

■ 今週の筑豊境

■ 国境

町田市や横浜市と同じく、北九州市にも旧国の国境(くにさかい)が走っている。筑前の国と豊前の国だ。両国は筑豊(ちくほう)という。この地名は聞いたことがある。筑豊炭田(古い!)のちくほうだ。

西日本新聞 なぜ?街の真ん中に「国境」 住宅街の中に突然、大きな石碑 北九州市 福岡県



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