いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第375週

2022年01月15日 18時04分59秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第375週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の「日貨」撤退


愚記事:中国⑮ 日貨氾濫 2005年10月24日

火付け役として最も有力なのが、01年に上海で発売されたキリンビバレッジの「午後の紅茶」だ。日本での宣伝と同様に、オードリー・ヘプバーンをCMに起用。「午后紅茶」という中国語の商品名と日本語表記をパッケージに併記し、現地のビールと同じ価格帯で売り出して高級ブランド化に成功した。その大ヒットとともに「の」が評判に。04年には広東省広州や北京でも販売され、大都市を中心に「の」が急速に浸透したという。商品名に「~の~」、中国でなぜ人気? 発端は日本の人気商品だった

その「午後の紅茶」のキリンがチャイナから撤退するとのこと。
キリン、中国飲料の合弁解消へ 1000億円で持ち分売却 (google)

■ 今週の「それ俺」と〇学阿"力"


YouTube: 国交正常化50年で正念場~中国とどう向き合うのか【1月7日(金)#報道1930】

TBSテレビの番組をYouTubeで見た。福田康夫元首相が日中外交を回顧するもの。そこに五百旗頭真がコメントするもの。おいらは五百旗頭真が苦手だ。なぜなら、彼は戦後の日本の対米従属体制を寿ぐ現代日本の「えすたぶりっしゅ」さまだからだ。彼の惹句は"「僥倖」としての日本占領"である[1]。

[1] 『環』、vol22、2005、藤原書店

日中外交を回顧する福田康夫元首相は、2008年の北京五輪に参加する。米国ブッシュ大統領も参加。同年春のチベット動乱弾圧の数か月後だ。ちなみに、この時メルケル首相は「外交ボイコット」を行った。国内少数民族を弾圧する中共/党/政府に対し、福田康夫元首相は、お手紙を出しました、えっへん、というお話。頭ごなしに批判をしても相手は言うことを聞かないのだから、静かにお手紙を出しました、えっへん、とのこと。そして、あけすけに中共を批判する対中強硬派を憂慮する態を示す。もちろん、中共は頭越しに批判しても、静かにお手紙を出しても、どちらにせよ言うことはきかない。事実、中共は、チベット平定後、ウイグル、香港と専制を淡々と進めるだけであった。そして、福田康夫元首相も五百旗頭真もウイグル問題など中共の人権問題には何もいわないのだ。二人は自分たちの現状認識させ示さない。

福田康夫元首相の「それ俺」

人権問題には何ら関心を示さない福田康夫元首相は、靖國問題には「困ったもんですねぇ」的態度。第二次安倍政権では安倍首相(当時)が靖國参拝をしたので、中共が硬化して日中首脳会談が困難になった。それを日中首脳会談ができるようにしたのは、俺だ!との回顧。これがこのYouTubeだ。

■ 今週の復刊

本屋に行ったら、清水安三、『朝暘門外』(Amazon)が復刊していると知る。表紙をおもてにして、展示してあった。昨年末らしい。なお、同じく結構以前に復刊された大川周明の本はたまたま並んでいただけである。

おいらがこの本の書名を知ったのは子安宣邦の文章からだ;

子安宣邦が中共はハルピンでの学会に参加した時の話。

私はこの会議で桜美林大学の 学長である佐藤東洋士氏と同席したのである。 (中略)その佐藤学長から帰国後、桜美林大学の現状と将来計画を示す冊子とともに山﨑朋子の『朝暘門外の虹』を私は送られたのである。 それらによって私は初めて清水安三という人物と崇貞女学校を通知ったし、その清水安三が桜美林学園の創設者であることも知ったのである。 その数日後、大阪の懐徳堂塾で徂徠学講義をした翌日、私は四天王寺境内で催されていた古本市を歩いていた。その一つのテントの店頭に並ぶ古書の中から清水安三の徴用問題を見つけたのである。 私はゴミと呼ばれる古書の中から宝物を得たようにしてそれを取り出し、素知らぬ顔で表示通りの安い値段で購入した。 (後略)

子安宣邦、『昭和とはなんであったか』、II アジア主義とは何であったか ー昭和日本の中国体験、6 朝暘門外は我が墳墓の地、清水安三を知る

と、おいらは何年か前にこの清水安三、『朝暘門外』を知った。戦前の本だ。古本で高かった。横浜市立図書館に、実は、あると知る。ただし、持ち出し禁止なのだ。

それが、昨年末に復刊していたのだ。3,300円。すぐには買えなかった。

■ 今週の自殺動機; 「うまくだまして」

他人の自殺をネタに、鬼畜の所業ではあるが。なにやら純粋真っすぐ君の自殺らしい。

https://twitter.com/L5wJ9bWerfxejLY/status/1444921993283784710

 

33歳で自殺した朝日新聞記者の父親が、同僚に向けて書いた手紙の中身

組合機関紙に書かれたA記者の父親の寄稿を引こう。

 〈Aは幼稚園の頃から日記を書き、文章表現を楽しみながら学んでいました。小学校の頃からは「朝日小学生新聞」を毎日読み、多くの図書や雑誌から様々なことに興味を持ち、記者になり、差別や貧困に苦しんでいる人々に寄り添い、ジャーナリストとして真実を報道することを人生の目標としてきました。Aが小学生の頃、私が勤務していた図書館に遊びに来た時のことです。戦時中の新聞記事を示して「戦争は新聞も国のいいなりになってしまったんだよ。気を付けていないと、いつでもこうなってしまうんだよ」と話していたことを思い出します。

戦時中の新聞記事を示して「戦争は新聞も国のいいなりになってしまったんだよ。気を付けていないと、いつでもこうなってしまうんだよ」って、まずは戦争は「国」が新聞の意向を無視して無理やり行ったものであるという物語が頑としてある。新聞が大衆を煽り、国が戦争をしないと国民感情が収まらなかったという発想は微塵もない。昭和の感覚である。これは、図書館勤務の父親の影響かと邪推してしまう。(なお、この図書館は横田基地のある福生であると別情報でわかる)

なにより、戦争を扇動したのは他でもない朝日はじめ新聞社であることは、今ではだれでも口にできるようになった。これらの本気の扇動は「国」に命令されて嫌々やった所業とはとても思えない。さらに、その朝日新聞社には国際的共産主義者組織の尾崎秀実もいたことは、今では、だれでも口にできる。

 

それにしても、自殺動機が、だましてほしいのに、会社がうまくだましてくれないからなのだという。

戦前の「国」は、だましかたがよほどうまかったに違いないという世界観を持ち、死んでいったのだ。

■ 今週の法の支配

自民党外交部会長の佐藤正久議員によると、日本政府と在日米軍には取り決めがあり、防疫ルールは駐留国のルールに従うとのことであったとのこと(YouTube:【台湾有事】中国の動きと日米「2プラス2」・・・2022年の日米関係を展望!【深層NEWS】)。

つまり、地位協定改定以前に、在日米軍の今回の所業はルール順守に悖るのだ。

日米の安全保障を確保するだけではなく、法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を維持し、地域の平和、安定、繁栄を確かなものとする

(外務省: 日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)(概要))とか、わらっちゃうよね。

■ 今週の風物詩

宝塚音楽学校 生徒募集



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