いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

門司港散歩

2024年04月14日 15時43分18秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

北九州市の門司港に行った。観光場所が集中している。その多くが門司港という港関連の史跡。


地図1。 赤点線枠は下記地図2。
1.JR門司駅、2.旧門司三井倶楽部、3.門司港レトロ海峡プラザ/瓦そば・たかせ、4.栄町銀天街:ダイソー、5.梅月、6.北九州市大連 友好記念館、7.ブルーウイング門司、8.関門海峡ミュージアム、9.旧大連航路上屋


地図2

■1.JR門司駅

■ 旧門司三井倶楽部

▼ 2階:150円かかります。

林芙美子記念館。3月末に関東を去るとき、林芙美子の「豪邸」にお参りした(林芙美子記念館に行った。3回目)。関門海峡は芙美子生誕の地だ。誕生地は複数説があり、両岸で別れるらしいのだ。それを「芙美子、海峡の地で産まれる」に「止揚」しているのだ。アインシュタインとは違い、芙美子は三井倶楽部には関係ないはずのだが、なぜかしら、記念館がある。

展示で、林芙美子が1930年に台湾に行ったと知る。集合写真があり、林芙美子以外に、望月百合子、生田花世、北村兼子など日本人とホストの蔡阿信夫妻が写っていた。蔡阿信(google 画像)とは女医であり、日本の東京女子医学専門学校に1917年に入学。1921年に台湾に帰る。勤務医のあと、1924年に開業。戦争のため1938に渡米。(“医”の道を切り拓く~世界の女性医師たち~の記事、第1回 台湾初の女医 蔡阿信)。カナダのヴァンクーヴァーで1990年の死去(wiki)。

関連論文:北村兼子と林芙美子、台湾とのかかわり  (初来台が同時であるだけでなく、生年も同じく 1903 年9 である二人は、しかし、生い立ちの面では顕著な違いがあった。)

北村兼子を知る:⇒ wikipedia

■ ⇒ 門司港レトロ海峡プラザ (web site)

■ 瓦そば たかせ

■ ⇒ 栄町銀天街

▼ 栄町銀天街:もじこう観光ナビ


出典

 出典

■ 6.⇒ 北九州市大連 友好記念館

▼ 北九州市大連 友好記念館

中国の遼東半島にある都市、大連市はかつて門司港とは国際航路で結ばれ交流が盛んでした。そして、昭和54年に両市は友好都市を締結し更なる交流を深めてきました。その友好都市締結15周年を記念し、ロシア帝国が明治三十五年(1902)大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を、そっくり複製し建築されたものが大連友好記念館です。門司港レトロ

門司から大連航路が出ていたとは知らなかった。大連の埠頭にはいったことがある(愚記事)。上記のオリジナルの大連にあるも東清鉄道汽船事務所見たことがある。でも、愚ブログには画像は載せていなかった。

■ ⇒ 7.ブルーウイング門司

橋を渡ったあと、橋が「はね」た。

ポルシェが並んでいた。

■ ⇒ 8.関門海峡ミュージアム

門司港レトロ web site

コンセプトは「関門海峡をまるごと楽しむ体験型博物館」、関門海峡にまつわる歴史、文化、自然などを展示、映像、音楽から飲食まで五感を通して知ることができます。

▼ 歴史展示

 

■ 9.旧大連航路上屋



旧大連航路上屋 [1]
[1] 上屋(うわや):上屋とは、保税地域にあって、輸出(本船に積み込む前)および輸入(本船から荷揚げされた)貨物の一時保管・荷捌きを行う施設のことです。⇒続く

旧大連航路上屋は、1929年(昭和4年)に、国会議事堂等を手掛けた官庁建築課大熊善邦氏の設計により、『門司税関1号上屋』として西海岸に建設され、北九州・門司港の国際ターミナルとして使われていました。出入り口脇の監視室が半円形に飛び出す等、幾何学形態を取り入れたアールデコ様式が特徴です。門司港レトロ

この建物は廃れて、倉庫になっていたが、restoration(再興)したとのこと。

ここから ⇒ こちらへ


(愚記事:中国26 大連港; 満州国への入り口

■ まとめ 通過街

北九州市 門司区 西海岸、港町、栄町、東港町



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