いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第396週

2022年06月11日 18時03分56秒 | 草花野菜

■ 今週の草木花実

■ 今週のレコンキスタ宣言

  

ロシアのプーチン大統領は9日、ピョートル大帝が18世紀にスウェーデンとの戦争を制し領土を拡大した歴史を引き合いに「(領土を)取り戻し強化することは、われわれの責務だ」と強調し、ウクライナ侵攻を正当化した。大帝の生誕350年を記念する展覧会を訪れた際に語った。(ソース)

Google [領土奪還は責務 プーチン ピョートル大帝]

■ 今週のLDP 、あるいは、今週の「リベラル

Google [『胸を見せて』と言われて、  吉川さんは私を見て自慰行為を始めて]

 2021年10月のLDP

こういうことは恥ずかしいだけのことという人もいる。でも、LDPは「世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」(党の政網)と「自主憲法制定」をずーっと怠けているのだ。やるやる詐欺だろう。これは「恥ずかしい」では済まされない。このお二人は政治家の家で生まれ育ったらしい。つまり、議員活動を、只の食い扶持にしているのだろう。「本業」がつまらなく、徹することができなので、不善を為すのだ。

■ 今週貸りた本

ファミレスでマンゴーパフェを食べた。初めて生のマンゴーを食べたことを思い出した。21世紀に入ってからだ。

今調べると、マンゴーは基本輸入禁止(農業大害虫のミバエ類阻止のため wiki)。でも、1990年代後半以降、輸入されるようになったとのこと。 果物ナビ。 だから、生のマンゴーはなじみがなかったとわかる。20世紀末、どっさりマンゴーゼリーをよく食べた。21世紀に入っても生のマンゴーの実を剥いて食べたことはなかった。そもそも、そんなにマンゴーにこだわっていたわけはない。でも、生のマンゴーを食べることになった。

インドでだ。インドに行ったとき、「猿とマンゴーの話」を思い出した。デリーでは街に猿がいた。それなら、マンゴーもあるではないかと気づき、仕事先のインド人にマンゴーが食べたいと頼むと、用意してくれた。8月であり、マンゴーの最盛期は過ぎていたと記憶している。「猿とマンゴーの話」とは猿が大勢でマンゴーの実を取る話だ。猿の「死んでもラッパを離しませんでした」的な話だ。

 
猿に投石するインドがきんちょ             ざくろ屋、 マンゴー食べた

ということを、話したら、<荊の簪を挿した御方さま>が貸りだしてくれた。『世界のむかし話 2年生』

偉大な猿王物語  全文 日本テーラワーダ仏教協会

『世界のむかし話 2年生』の巻末の解説文;

さるの はし(インド)

インドのジャータカ物語のなかにある話です。『ジャータカ』というのは、北インドの諸地方で、古くから語り伝えられていた話を、仏教の布教に利用するため、とりりまとめて、五世紀ごろにつくられた説話集です。従ってどの話も、道徳的な色彩をおびており、ここにあげた話も、自己犠牲の精神の美しさ、尊さを説いたもので、読者の心をふかくうつものがあります。

『ジャータカ』を初めて知る。

『ジャータカ』(梵および巴:Jātaka、漢訳音写:闍陀迦、闍多伽など)とは、仏教でいう前世の物語のこと。本生譚(ほんしょうたん)ともいう。釈迦がインドに生まれる前、ヒトや動物として生を受けていた前世の物語である。wikipedia

お釈迦様って前世では猿であったこともあると知る。

■ 今週の「茹で」

大豆を茹でました

■ 今週のキリ番



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
かもめさんへ (いか@)
2022-06-15 19:15:02
かもめさん、お久しぶりです。
コメント、ありがとうございます。
ご返事、おくれました。
今日(6/15)、気づきました。

足のこと、お見舞い申し上げます。かなりの「ほろ酔い状態」とのこと、お気をつけください。早く治癒されることを願っています。

お会いした頃は、当方はつくばいいましたが、今は横浜です。近づきました。

連絡につきまして、メールアドレスをお知らせください。このコメント欄は承認制なので、公開しません。捨てアドレスでもよいので、お知らせいただければ、御返事します。
返信する
左足首骨折から十か月 (かもめ)
2022-06-12 10:06:58
こんにちは。昨年八月に左足首の踵骨折以来、なんだか一気に三つ四つ年を取ってしまったようなのです。ケガから十か月ほど経ち、ようやく杖なしで歩けるようになった次第ですが、この間にも脳も目も耳も、かなり老化が進んでしまったようで。それに追い打ちをかけてきたのが二月二十四日の例の大事件以来、今までにない報道興奮が続き、落ち着いて本が読めないのですよ。まっ性分かもしれませんが。よければ一度、お会いしたものです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。