生まれ初めて佐賀県に行った。唐津。福岡から列車で1時間半ほど。
都道府県魅力度ランキング2024というのがある。佐賀県は堂々の1位だ。後ろから。そもそもこんなランキングはばかばかしいというべきなのだが、気になる佐賀県。道産子のおいらの故郷もこれまた堂々の1位だ。そして、おいらが初めてしった歴史上の人物は佐賀の人だ。かつて書いた:「おいらが生まれて初めて覚えた歴史上の人物は島判官こと、島義勇。少なからずの札幌っ子はそうだ。なぜなら、島判官が「札幌」を創ったのだから。」もっとも、島義勇(しま よしたけ)の出身地が「佐賀」という意識は低かった。いうなら、「肥」だ。薩長土肥の「肥」。今調べると、「佐賀」という地名は旧来からあった名前ではないらしい。
今、下記、本ブログ記事を書き終わって思うことは、唐津に行った理由は佐賀県に行こうとしたわけではなかった。一番の理由は呼子、イカの産地で有名な呼子に行くことにしたことだ。呼子は知っていたが、呼子は佐賀県であるという意識はなかった。呼子参りのついでにお城がある唐津に行った。特に、予習なし。ただし、最近、幕閣の小笠原長行(ながみち)が薩英戦争の賠償金を支払い、戦争を防いだと知った[1]。そもそも、長州征伐での活躍は多少知っていた。譜代大名であることは承知していたが、藩まで特に気にしていなかった。ただ、長州に地理的に近い譜代大名といったくらいの認識。通常、譜代大名は石高は高くなく領地も大きくない。ところで、愚ブログは「薩長」が嫌いだ。当然、唐津には肩入れしたい。
[1] 自国民が起こした「テロ」行為の損害賠償をする「日本」政府;ただし、両方とも非日帝政府
そして、唐津から帰り、現地で得たパンフレットなどを見て、初めて知った。唐津藩士の函館新選組。小学生の頃から島義勇は知っていたが、函館新選組など知らなかった。さらに、東京駅の辰野金吾は知っていたが、唐津の出だとは知らなかった。そして、現場で初めて知ったのが高橋是清が唐津にいたのだという。
1.JR唐津駅、2.魚処 亀山、3.旧唐津銀行 辰野金吾記念館、4.城内橋、5.唐津城、6.旧高取邸、7.旧大島邸、8.大手口バスターミナル
戦災を受けなかった唐津市街地は、今でも城下町時代の町割りをそのまま残しています。そして、恐らく20~30年前までは、町中の至るところに、忘れ去られたように石垣や堀跡が残されていたのだと思います。
現在、唐津市では、これらの歴史の遺跡を順次復元して、城下町の姿を再現しようとする試みが進められています。
かつての城郭内では、再び堀が掘り込まれ、櫓が再建され、石垣が積み直されています。
かつての武家屋敷地には、生垣が植えられ土塀が修復されています。
そして、唐津城本丸には壮大な天守がそびえ立っています。(唐津 玄界灘を遥かに望む 壮大な擬似天守をもつ城下町 ソース)
■ JR唐津駅
戦災を受けなかった唐津市街地は、今でも城下町時代の町割りをそのまま残しています。そして、恐らく20~30年前までは、町中の至るところに、忘れ去られたように石垣や堀跡が残されていたのだと思います。
現在、唐津市では、これらの歴史の遺跡を順次復元して、城下町の姿を再現しようとする試みが進められています。(まちあるきの考古学 様 唐津 ☜このサイトの唐津説明は有益)
■ 2.魚処 亀山
唐津 魚処 亀山 食べログ
このあたりは中町商店街だと知る。中町商店街は、唐津の中心部にある江戸時代から続く商店街で、鮮魚店や飲食店が充実し「唐津の台所」とも呼ばれています。唐津を代表するお祭り「唐津くんち」の2番ヤマ青獅子の曳き子達の人情味溢れる商店街です。(web site)
魚処 亀山: 創業170年を越える老舗鮮魚店直営の海鮮丼
鮮魚店ならではの目利きで、玄界灘の新鮮な魚介類をふんだんに使った海鮮丼は絶品!創業170年を越える老舗鮮魚店直営の海鮮丼を目当てに、平日も行列ができる人気店です。(web site)
特上をいただきました
■ 3.旧唐津銀行 辰野金吾記念館
旧唐津銀行「辰野金吾記念館」(唐津市 web site)
唐津銀行は明治18年に設立し、翌年に開業しました。設立時の頭取には、大島小太郎が就任しています。現在残る旧唐津銀行本店は明治43年8月に着工し、明治45年3月に竣工しました。
建設にあたり、大島小太郎とともに高橋是清から唐津藩英学校(耐恒寮)で教えを受けた工学博士辰野金吾の監督のもと、辰野金吾の弟子にあたる清水組の田中実が設計を担当し、装飾については京都高島屋が受け持っています。建物のデザインのスタイルは、辰野金吾がイギリス留学時代に流行したヴィクトリア様式のひとつであるクイーン・アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」と呼ばれるもので、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せて、王冠のごとく強調する辰野流の工夫が加味されています。(同上 web site)
■ 4.城内橋
■ 5.唐津城
■ 6.旧高取邸
邸内は撮影禁止
旧高取邸は、杵島炭鉱などの炭鉱主として知られる高取伊好(たかとりこれよし)の邸宅です。唐津城本丸の西南の海岸沿い、約2,300坪の広大な敷地に大きく2棟の建物が建っています。
平成6年から平成7年にかけて行われた国の近代和風建築総合調査でその重要性が確認され、平成10年12月に国の重要文化財の指定を受けました。
この邸宅は、伊好が自宅兼迎賓(げいひん)のために明治38年(1905年)に建てたものです。大広間棟にある板敷きの能舞台、植物の浮き彫りや型抜きの動物を施した(ほどこした)欄間(らんま)、杉板戸の絵など和風を基調としながらも洋館を設けるなど当時の最新の優れた意匠を見ることができ、近代和風建築のすばらしさが堪能できます。
特に藤、山桜、垂れ桜、菊、松、紅葉が描かれた29種類72枚の杉戸絵は京都四条派の絵師:水野香圃(みずのこうほ)が約半年くらい滞在して描いたと言われています。自然の豊かさがいっぱいです。(唐津市の紹介 web site)
▼ 埋門ノ館(うずめもんのやかた)
旧唐津藩時代の名称を使用した「埋門ノ館(うずめもんのやかた)」は、茶道・華道・舞踊・能などの文化活動と社会教育活動の場として幅広く活用できる文化施設です。桜や花水木、楓などが植えられた庭では、四季折々の城下町の風情を感じることができます。(唐津市 web site)
■ 7.大島邸
旧大島邸は、唐津の近代化に尽力した、大島小太郎(おおしまこたろう)の旧宅です。
大島小太郎(1859年~1947年)は、唐津藩士、大島興義(おきよし)の長男として唐津城内に生まれました。
唐津藩の英語学校の耐恒寮(たいこうりょう)において、東京駅を設計した辰野金吾(たつのきんご)や、同じく著名な建築家である曽禰達蔵(そねたつぞう)らとともに、後の蔵相、首相を務めた高橋是清(たかはしこれきよ)の薫陶(くんとう)を受け、明治18年には佐賀銀行の前身となる唐津銀行を創立。その後も鉄道や道路の敷設、市街地の電化、唐津港の整備など、唐津の近代化に大きく貢献しました。
本邸はかつて、現在の敷地から300mほど西側に建っていましたが、小学校校舎の増改築に伴い解体され、現在の南城内の地に復原されました。
主屋の完成は明治26年(1893)ごろと考えられており、明治時代中期の大規模かつ極めて上質な住宅で、当時の和風住宅の庭をともなう建物構成や、意匠の優秀さ、特徴をよく表している建物といえます。(唐津市の web site)
■ 8.大手口バスターミナル
バスで呼子に向かう。