いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

仙台江戸町。なぜ廃名をアパートに

2008年11月19日 20時39分32秒 | 仙台・竹雀・政宗

左:伊達政宗(宮中ネームは、松平陸奥守政宗) 右:徳川家康(宮中ネームは、源家康)

今夜もどうでもいいことを書きます。

仙台の街が政宗に作られた頃、江戸町という地名があったらしい。

現在の、国道48号線北域の八幡の一部。仙台城築城や街の開発に携わるため江戸から来ていた棟梁や大工が住んでいた町とのこと。

現在、江戸町という地名など仙台では使われていないのだが、

その旧江戸町である八幡に、賃貸アパート【宮城県仙台市青葉区八幡】 プレジール江戸町なるものを発見したので、

報告する (だれも報告なんてしてほすくないヨ)。 喜び!江戸町

●そんで、ふと思い出したことがある。

仙台の街から広瀬川にかかる大橋を渡る手前、自転車屋の坂を下って、評定河原橋に行く道がある。

現在は大手町というが、昔は琵琶首といったらしい。平成になってそこが昔琵琶首という地名だったとは誰も知らない頃、そこに琵琶首アパートというがあった。

▼ただそれだけのことのだが、今調べていると、仙台の街はお武家サマが住む丁(片平丁とか)と町人が住む町(肴町とか)に知名でわかるようになっている。そんで、今本みていると琵琶首は琵琶首なのだ。

例えば、『仙台市史 近世3』の127ページ、仙台城下で発生したおもな火災;

文政6年12月25日 片平丁で出火。六軒丁・七軒丁・田町・染師町角から荒町・谷地小路角、石名坂辺まで延焼し、169戸が焼失。

文政8年1月3日 琵琶首で出火。土樋方面へ延焼し、199戸が焼失

とある。

■あー、ネット検索したら、琵琶首丁というのがあった。

坂の前のチャリ屋さんも写っています。

● 終戦後、向田邦子が琵琶首に「住んでいた」と書いてある。






知らなんだ、松江騒擾事件 1945

2008年11月16日 19時02分11秒 | 国内出張・旅行


松江城。 県庁はこの左手。

■知らなんだ、松江騒擾事件

松江騒擾事件(まつえそうじょうじけん)は、1945年(昭和20年)8月24日未明、日本の島根県松江市で青年グループ「皇国義勇軍」数十人が武装蜂起し、県内主要施設を襲撃した事件である。

ある女子隊員の決起理由

事件後、当時の女子隊員のひとりが語ったところによれば、戦時中は戦や国のために引き締まった気持ちでがんばったにもかかわらず、神国と信じていた日本が敗れ、うそのように崩れゆく社会情勢にいたたまれなかった。そして「国家と国権の維持は兵の力にあり」との思いから皇国義勇軍の一員になり、計画後は仲間全員で死ぬ覚悟もできていたという。事件後十九余年を経た後も、少しの悔いもないとの証言を残している。


下線はいか@。 今もどこかで聞く言葉だろう。

でもさ、変わった点と言えば、外資系保険会社 (アメリカンファミリー!) の洗脳メロディー;

~♪~ よーく考えよう~ ♪~ お金は大事だよ~♪~

の ぬっぽんずん脳への浸透。

幕僚長の脳髄にも固着し、それを以て、行動を律していることである。

やはり彼は、「米」衛隊なのだ。

▼松江ネタ関連;

今春、島根の松江に行ったとき、城下町の廃れたアーケード街を散歩していると、古本屋の軒先にワゴンがあり、ゾッキ本の山。さらには、田舎の無人野菜売場よろしく、どれでも1冊100円だから、箱に金入れて、持って行けというもの。

↓こんなんでした。


それでも、おいらは、毎週梅の木の写真を撮っていきます。43

2008年11月15日 08時30分36秒 | 筑波山麓


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いとやむごとなき 団体 様

2008年11月14日 21時50分18秒 | 筑波山麓


日西皇室王室を団体扱いする イヌ電車

(スペイン国王の背後にこちらを向いて座っているスペイン人は侍従さん達なのかな?)

■さて、漢字が読めない件;

漢字をちゃんと読めないのはかっこいいことではないよね。
ちょっと恥ずかしい。

でも、文士なのにテレビでやっちゃったのを見たよ。

9/24の夜、出張先で見たテレビ、NHK教育で三国志を語る北方謙三は、「しきれつ」な戦い、「しきれつ」な戦い、って連呼していた。

あー、やっちゃってるよー、と見ていた。

もちろん、熾烈=しれつである。

北方は熾烈という言葉を読み書きでは使うけれども、会話では使わないのだろう。あるいは、使って、つまりは誤用してシキレツと発音しても、誰も指摘してくれない。たぶん前者ではないだろうか。おいらもそうだ。



日本語を亡ぼすとき。
坊ちゃんなのでゆとり教育
脳みそだけ庶民
新聞は読まないんじゃなくて、読めない。
やっぱ、公用「語」は マンガにしたい。


おらほの街にKing&Emperor

2008年11月12日 20時35分15秒 | 筑波山麓


両陛下、スペイン国王とお召し列車でつくば市をご訪問 (現在リンク切れ)産経ニュースから勝手に拝借、ゆるしてケロ。

おとといスペイン国王が日本にきたんだなぁとおもっていたら、今日はおらほの街にきたそうな。

来るなんて全然知らなかった。それも常磐線で来たんだって。お召列車。帰りはTX(つくばエクスプレスとのこと)。

昨晩は線路沿いをさんざん調べつくしたんだだろうか?

スペインでは列車爆破テロがあったし、お召列車といえば 虹作戦 もあるし。チャレンジャーだ、日西のKing&Emperor

ようこそ、東京から一番近い勅許植民都市へ!


つくばでは、JAXAとか、 「続いて筑波大学でロボットスーツの実演などを視察した。」

そうなのか、山海センセのところに行ったんだ。

ゲロの 都から一時間の列車の旅の末、スペイン国王が見たものは、宇宙開発装置とロボット。

▼ところで、スペインの都に招かれ片道1時間以内で行くなら.....。

スペインの都の美しいアトーチャ駅から、これまたゆったり整然としているホームから出る高速鉄道で30分あまりで着くのがトレド。

(スペイン国王は上野駅って山手線から常磐線に乗りかえる時、頭ぶつけないように歩かないといけないなんて当然知るまでもない。)



- 十二世紀のスペインは、まさに学者の楽園だった。頭に浮かぶのは、こんな情景だ。蝋燭で明々と照らしだされた大きなテーブルの上に、シリア語、アラビア語、ヘブライ語、ギリシア語などで書かれた何十冊もの写本が広げられている。テーブルのまわりで写本に読みふけったり、メモをとったり、活発に議論し合っているのは、顎鬚を生やしたユダヤ教徒、剃髪したキリスト教の修道士、ターバンを巻いたムスリム、黒い髪のギリシア人といった顔ぶれだ。 ここはスペイン中央部のトレド。 -

リチャード・ルーベンスタイン、『中世の覚醒』


なぜ、うめちゃんはツチノコぶるのか?

2008年11月10日 19時50分00秒 | ねこ


寒い季節が来たからである。 熱くなると、裕次郎ぶることはいうまでもない。

■今日スペイン国王が来日。


 今夜の二人きりの話題は、クーデターの駆除の仕方。

現在のスペイン王こそ世界最新の王政復古による即位をしたフアン・カルロス1世。 

王政復古は1975年である。 

そうか、1975年って、おいらはものごころついてる時代だ。 今調べたら、1972年の札幌オリンピックにスペインは参加している。男子回転で金メダルをとっている。

「養父」が将軍・フランコである。
”独裁”将軍が王に「禅譲」した。どこかで聞く話じゃないか。

そんな無血王政復古の6年後、クーデターは起きた。1981年。

(1981年!「最近」じゃん、~♪~あ~あたいの恋は~、南の~島へ向かって走~♪~ちゃってるよ。)

しかしながら、フアン・カルロス1世はクーデターを全く認めず。

国王の鮮明な拒絶によりクーデターは流産する。
(このとき、感想を問われ「自分の給料分、働いただけさ」とこと、 ん~伊達ものだ。)

これまたどこかで聞く話じゃないか。

その1981年のクーデターの映像がこれ↓
golpe del estado 23 febrero 1981 en españa




 紙つぶてのクーデター



iiasに行きました、あるいは、誤字について。

2008年11月09日 21時26分08秒 | 筑波山麓


つくばに新しくできた大型モールiiasに、大型書店があるというので、行きました。実は先週の昼間行こうと思ったのですが、車が渋滞して近づくこともできませんでした。なので、夜8時に行きました。ちなみにwebsiteで営業時間が23時であることを確認。



くまざわ系でした。確かに広いです。

新刊の『日本語が亡びるとき』を探しましたが、すぐに見つかりませんでした。文芸評論、日本語のコーナーにはありませんでした。店のはしの検索コーナーで探すと、店内に在庫はあるそう。



店員さんに聞きました。探してくれました。



オピニオンのコーナーにありました。『反貧困の学校』と『中国が日本を植民地にする日』の間にありました。

それで、いろいろ店内を見てまわっていると、なんと、蛍の光。ぎょえ、9時閉店。1時間しか本を見れなかった。なんのために来たのかわからない。

■ちなみに、『日本語が亡びるとき』、巻頭がいきなり、ほろびるね、です。 そして、今日、おいらが引用を間違っていることに気づきました。

滅びるね → 亡びるね、 です。 漱石センセの文章をほろぼしてごめんなさい。

▼そんな今朝、文化放送の竹村健一センセの番組で、猪口孝センセが、英語は道具力 (think book)を基調とした、英語論をしていました。主張は上記本参照。そして、新潟県立大学の学長(?)になった猪口センセは、授業を英語でやることを推進しているが、うまくいかず、という話でした。難しいですよね、education in English media。 番組内容の詳細はこちら。

たとえば、日の丸戦車をつくっている三菱重工の売上の半分は、海外案件とのこと。つまり、いかに日本そのものという近代組織でも、現在は世界を「顧客」としなければやっていけないということです。その対称がデーガク。少子化だから、デーガクの経営上、日本語を話す(それもあやしい)「おバカ」な子供を入学させるか、あるいは、アジアを中心とする外国からの子供を入学させるしかない。後者は、日本の教職は 藤野先生 たるべしである。ただし、言葉は英語、education in English media、ということだ。つまりは、偽毛唐による偽毛唐の量産、ってことだな。

ところで、おいら初めてお声を聞きましたが、猪口センセって、ずーずー弁の痕跡が残っていますよね。

●水村美苗が、自己劇化なのか、フランス語を専攻したのは、英語になじめないので、英語よりも卓越性のあるとされるフランス語を選び取ったと、上記書では、述べている。 これは結構ある話で、篠沢秀夫は、戦争で米英に負けて悔しい時に、英語より卓越した文明であるフランス語/文明を選び取ったと、本気かウソか知らないが、述べていた。平川 祐弘センセもその部類らしい。

さて、このアナロジーで考えると、ずーずー弁の人(←文化資本的視点からみた、二流市民の象徴!)が、英語を選び取って、標準日本語を話す主流派/えすたぶりっしゅめんと日本人に、復讐的に卓越性を誇るというのはありうるのかなぁと、渡辺昇一センセや、あるいは、(ずーずー弁ではないが、二流市民だと口さがない京童が言う)竹中平蔵サンを想定して、思いつきました。

▼その点、食う為に、地に足がついた、典型的Japanese-Englishを、ヒングリッシュのインド人、シングリッシュのシンガポール人、あるいはZの音を発音しないスペイン人などとの仕事のために、必死に使っているおいらは、スノビズムとか卓越性とかと離れている分、幸せなのかなと思ったしだいです。