草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

司馬遼太郎が愛唱した「蒙古放浪歌」は大陸浪人への挽歌なり

2010年11月16日 | 思想家

 会津若松市の奥座敷である東山温泉にも、司馬遼太郎は何度か足を運んだようだ。つい先日のことだが、昭和63年夏、宴会の席に呼ばれたという芸妓さんが、思い出話を色々と語ってくれた。司馬遼太郎は、週刊朝日に連載していた「街道を行く・奥州白河・会津のみち」を取材するために、編集者と一緒に滞在していたのだろう。細面で、夢二のモデルになりそうな顔をしていたので、ついついからかわれたのだとか。竹久夢二も東山温泉を度々訪れている。それを知っていたから、そうした話が出たのだろう。その芸妓さんも、かなりの読書家で物知りなので、ついつい話が弾んでしまったが、一番大事なことを聞きそびれてしまった。司馬遼太郎が日頃口ずさんでいたという、「蒙古放浪歌」を披露したかどうかということだ。戦車隊の小隊長として、満州にも出かけており、大陸への思いは人一倍であったはずだ。それだけに、酔えば歌うような気がしてならないからだ。今の日本人の多くは、そうした浪漫を持ち合わせていない。大陸への憧れを引きずってきた世代の人たちが、次々とこの世を去ってしまい、「男多恨の 身の捨て所」という歌詞も、もはや死語になってしまった。いくら司馬遼太郎に笑われようとも、恥ずかしながら、この国の主権を死守するだけで精一杯なのである。  

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サヨクはもともと千谷官房長官のような詭弁好きだ!

2010年11月16日 | 思想家

 サヨクの詭弁には付き合いきれない。千谷由人官房長官などは、その典型である。本来の左翼であるならば、情報公開を求めるのが普通であるのに、国家機密法を制定してまで、自分たちを守ろうとするのは、居直りでしかない。だったらば、スパイ防止法でも提案してくれればいいのに。そういえば、日本におけるマルクス主義の論争史のなかで、今でも語り継がれているのに、福本イズムがある。福本和夫が「分離する前に結合しなければならない」と主張したのだった。大正末期のことである。マルクスの引用文だらけで、難解過ぎたことがかえって受けて、福本は一時、日本共産党を代表するイデオローグとなった。ただ、あまりにも晦渋な文章の羅列であったので、それを理解できずにノイローゼになった若者もいたという。労働者からのたたき上げであった荒畑寒村などは、よっぽど腹に据えかねたようで、「労働者にはとても理解されまい」と批判するとともに、理論的にも「レーニンが『何をなすべきか』の中で強調した『結合の前の分離』論のお粗末な複製にほかならない」とこきおろした。当時、極左路線をひた走っていた日本共産党は、自己正当化が必要であったので、たまたま福本イズムに飛びついたのだ。千谷官房長官の議論も、まさしくそれと同じである。自己保身のために、理屈にならない理屈を並べているだけだ。だからこそ、海保職員が逮捕されないことが明らかになっても、負け惜しみでいちゃもんを付けているのだろう。

 

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国民を覚醒させてくれた海保職員の功績は大だ!

2010年11月16日 | 思想家

 真実を知ってもらいたいという海保職員の決断は、この国を動かした。民主党政権の卑屈な外交を白日の下にさらしたし、検察と警察に対しては、司法と治安の独立をサヨクから死守できるかどうかの踏み絵ともなった。歴史のなかで、個人の果たす役割は限られてはいるが、この国では、ここ一番というときに、汗青を照らす人物が現れるのである。そして、日本の国民の多くが、国家について考える機会を持つことになったのも、大きな功績であった。日本の周辺諸国が国家エゴを主張しているなかにあっては、日本もまた、国家として身構えなければ、国民の生命と安全を守るのは難しいのである。民主党政権に憤った国民は、日の丸の旗を手にして街頭に繰り出したが、告知はネットを通じてだけであった。それでも3千、4千という人たちが集まった。海保職員の勇気ある行動が、国民を覚醒させたのである。しかし、今回は逮捕されなかったはいえ、民主党政権が続く限り油断するわけにはいかない。国の個性ともいうべき国柄を破壊しようと目論んでいるからだ。高坂正堯は、国の個性が国民の能力の源泉であることに触れ、「その行動様式や価値体系から離れて国民はその能力を発揮しえない」(「日本外交と国民の利益」)と書いている。それを破壊しようとする民主党政権とは、一切の妥協を排して戦うしかないのである。

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