テレビはこぞって舛添要一東京都知事を取り上げて、その公私混同ぶりを批判している。それが許されないことは誰もがわかっているので、ここぞとばかり攻撃をしているのである▼当初問題にされてきた北朝鮮や韓国に媚びたような行動については、まったく不問にされている。別荘がどうの、絵画の購入がどうだとかのレベルである。そして、自民党が都知事選挙で推薦した経過から、ここぞとばかり安倍内閣を攻撃する材料に使っている。根本的なことが忘れられて、参議院選挙に向けて反自民の流れを加速させようとしているのだ▼国民を一定の方向に向かわせようとするのは、あまりにも危険なことである。冷静さを失わせるように仕向けるテレビに対して、私たちは常識の線で対抗しなくてはならない。川崎でのデモを妨害した勢力に加担する報道も、これまた常軌を逸していた。あまりにも目に余るのでリベラルな人たちからも批判が出ている。表現の自由への介入は、いかなることがあっても許されてはならないからだ。神奈川県警はヘイトスピーチが行われた段階で規制すべきであった▼今のテレビが伝えることは、一時的な感情や憎悪を煽るだけだ。反知性主義そのものである。もうここまでくれば、テレビを見ないようにするのも手である。大衆受けするようなことをコメントすれば、それだけで商売になるような者たちしか登場しないテレビは、もはや信頼するに当たらないのである。舛添都知事にしても、テレビがなければ世に出ることがなかったのであり、恩恵に浴した人間が集中砲火を浴びているのだから、世の中皮肉なものである。
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