- 戊辰戦争のクライマックスである戦いといえば、西軍が若松城下に攻め込んたときである。会津藩の主力は四方に展開し、まさしくガラ空きの状態であった。
そんななかで老人と白虎隊、さらには水戸から駆けつけた諸生党などが防戦に追われた。衆寡敵せずではあったが、城は落ちなかった。
家老の西郷頼母邸がそうであったように、死者となって立ち向かった者たちがいたからだ。西郷家の一族21人の自害した様を、先鋒であった土佐兵は目のあたりにした。言いしれぬ恐怖を覚えたという。
死んでなお護国の鬼となる覚悟は、尋常ではなかったからだ。七生報国の精神は日本人特有であり、だからこそ、先祖の死者に恥じないことを絶えず意識しながら、卑怯者にはなるまいとしたのである。
最新の画像[もっと見る]
-
日本銀行の政策金利引き上げは失業を増加させる愚策だ 3週間前
-
米中依存から脱却し国家として身構える日本にすべきだ 2ヶ月前
-
令和6年12月 3ヶ月前
-
会越の国境を列車で 3ヶ月前
-
多様性を尊重しない中国とは真の友好関係は築けない 3ヶ月前
-
朔太郎の『乃木坂倶楽部』の詩と令和6年12月 3ヶ月前
-
口重き人の悲しみ雪白し 5句 3ヶ月前
-
三島由紀夫が危惧したのは自衛隊の指揮権が日本にないことだ 4ヶ月前
-
わけ入りし山の奥なる滝の音 5句 4ヶ月前
-
憂国忌を前にして不甲斐なき日本の現状を憂う 4ヶ月前