現在の日本の惨憺たる状況を目の当たりにすると、三島由紀夫が絶叫したごとく、昭和45年11月25日が唯一のチャンスだったのかも知れない。もはや手遅れになったしまったのではないか。
国軍たりえない自衛隊は、現在も米国の傭兵にとどまっている。安倍元総理の努力で日米安保条約が強化されても、日本が他国から侵略された場合に、米国が守ってくれるかどうかも、はなはだ心もとない。ウクライナに対してそうであるように、せいぜい武器を援助する程度ではないか。
あのときは敗戦から25年しか経過していなかった。戦争体験者が圧倒的であり、まだまだ現役であった。中国は今とは違って覇権を目指すような大国にはなっていなかった。もし自衛隊が蹶起して、憲法を改正していれば、菊と刀は結びつき、自衛隊には栄誉の大権が与えられたに違いない。昭和20年8月15日を境にして、日本の歴史は分断されることもなく、かけがえのない連続性は保たれることになったのである。
三島由紀夫を狂人扱いにし、憲法改正を怠ってきたがために、そのツケが回ってきているのだ。「諸国民の公正と信義に信頼して」というのは、あまりにもどうかしている。
三島由紀夫は2・26事件について、あくまでも「希望による維新であり、期待による蹶起だった」(「『道義的革命』の論理」)と書いた。大御心に待つというのは、自分たちの大義を時の権力者から認めてもらうことにほかならない。
それを理解しなければ、三島の本当の狙いが分かったことにはならない。文学的な死として位置づけられてしまっているのは、それを誤解しているからなのである。
自衛隊の蹶起など、あのとき以上に困難である。国内の分断が進むアメリカは、誰が大統領になっても、東アジアから撤収するだろう。国の大本を見失ってしまった日本が、目前に迫った危機を乗り切るにはどうすべきか。もはや検討などしている時間は残されていないのである。