毎日のようにコラムを書き続ければ、時事的な問題にコメントすることになる。膨大な情報を整理して、自分なりの意見を述べることでもある。手際よくどれだけ裁くかにかかっている▼山崎正和は『歴史の真実と政治の正義』において、情報化の脅威を「本質的に人間の知の在り方の変化であり、知の全体のなかで、いわば知識よりも情報が優位を占める傾向のことである」と書いている。さらに、山崎は「変化のポイントは、知の性質のなかで永遠性よりも新しさが勝ちを占め、脈絡よりも断片性が強められ、知がより多く時事的な好奇心と実用性に訴えるようになったことであった」と付け加えるのを忘れなかった。その見方は的を外れているわけではない。しかし、一概に情報化を悪と決めつけるのは間違いである。山崎もあえて情報化の対極に永遠である知恵を設定し、その中間に「断片的な情報に脈絡を与え、できるだけ広い知恵の統一性を求めるとともに、できるだけ永く持続するものにしようとする」ための「知識」を重視する▼中間を好むのは山崎らしい結論であるが、情報化のなかで人々は、無理に脈絡や統一性にこだわるのではなく、常識という過去からの遺産によって判断しているのではないだろうか。情報化がもたらすと思われたプロパガンダの政治は、あくまでもテレビや新聞によるもので、かえってネットのなかでは通用しなくなっている。多様性のなかで埋没してしまうからだ。情報化は名もなき人々に発言の場を与えることにもなった。そのことの意義の方がはるかに大きいのである。権威によって批判を許されなかった知が根底から揺らぐことになったのは、常識で判断する人々の意見を無視できなくなったからなのである。
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