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安倍元総理はテロで殺されたのである。国政選挙で全国を飛び回っている最中に。その死を悲しんで、なぜ多くの国民が街頭に繰り出さなかったのか。僕は唖然としてしまう。まともな保守の司令塔が存在しなかったからではないか。
昔であれば、自民党の院外団体が呼びかけて、安倍元総理の遺影を掲げて街頭に出たのではないか。自民党の保守を名乗る国会議員も、そこまでやる勇気はなかった。保守のそれ以外の政党や団体も、先の参議院選挙で、自分たちが新たな党を立ち上げて、自民党と争ったものだから、そんな気にもならなかったのだろう。
さらに、保守のインフルエンサーにしても、あくまでも個人のフロアーを増やす話題に取り上げる程度で、政治的な運動まで組織することはできなかった。以前のように、もし頑張れ日本全国行動委員会が日本中に呼びかけて、安倍さんの死を悼むデモを計画したならば、東京の首都中枢は、日の丸の旗で埋まったはずである。国葬も大事ではあるが、それ以上に国民一人ひとりが声を上げるべきだったのである。
20代、30代の若手経営者が立ち上げた「安倍元総理デジタル献花プロジェクト」の献花者は、もう少しで100,000名になろうとしている。マスコミでは産経新聞がわずかに触れた程度である。それでも、声なき声が結集したのである。本来であれば、保守のネット民がこぞって応援すべきだと思うが、そうした広がりにはほど遠い。
被害者である安倍元総理が加害者のように扱われているのは、保守が小異を捨てて大同に付かなかったからである。岸田内閣が親中派であることは明々白々である。政治を保守の手に取り戻すには、ネットで声を上げている人たちの力を結集して、その声を政治にぶつけなくてはならない。もはや評論家であることは許されないのである。