尾崎健一氏は祝嶺正献先生に空手道、躰道の指導を受けた人。 躰道師範協議会副会長。
ロック歌手・尾崎豊氏の実父であります。
躰道壮年倶楽部講演会の資料より掲載しています。
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「祝嶺正献先生との出会いと躰道を学ぶ息子達」(その4) 尾崎健一
初心者への教授方法が極めて合理的であったことは、その後間もなく出版された五百頁以上に及ぶ大部の『新空手道教範』(昭、四五、七、一 第七版、日本文芸社)によって知ることができました。
その序文には
『空手道を適切に修得するうえに最も肝要なことは、術技を組織的に系統だて、鍛練の段階に無理がないよう工夫することである』と教授の根本理念が明記されております。
また、第九章第一節『環境と適切な修練計画』では「個人で独習する場合」の心得として『よい指導書を求めれば、良師に師事していると同じように修練できるから、けして悲観することはない』とあり、
また同章第三節では「団体で修練する場合」として『学校、自衛隊、会社など団体の空手部では、気心の知った者同志が稽古するので、修練上有利な面が多くその効果も大きい。
たとえば、相手の得意とする術技を自分は不得意とし、逆に、自分が得意とする術技を相手は不得意とする場合、双方の得意技を互いに交換して会得することができるーー。』とあり、
更に別項では『部外の競技試合を利用する』『合宿を効果的に利用する』と教えられております。
創設当時の自衛隊は、組織の改編がたびたび行なわれた時期でもあったので、立川での最初の弟子たちもやがてバラバラに転属する可能性が高く、事実、立川部隊は一年半位で都内の越中島部隊に移駐しました。
幸い殆どのものが同一部隊にとどまることができましたが、何人かは他部隊へ転属し、その後の躰道から離れざるを得なかった者もいました。(つづく)
ロック歌手・尾崎豊氏の実父であります。
躰道壮年倶楽部講演会の資料より掲載しています。
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「祝嶺正献先生との出会いと躰道を学ぶ息子達」(その4) 尾崎健一
初心者への教授方法が極めて合理的であったことは、その後間もなく出版された五百頁以上に及ぶ大部の『新空手道教範』(昭、四五、七、一 第七版、日本文芸社)によって知ることができました。
その序文には
『空手道を適切に修得するうえに最も肝要なことは、術技を組織的に系統だて、鍛練の段階に無理がないよう工夫することである』と教授の根本理念が明記されております。
また、第九章第一節『環境と適切な修練計画』では「個人で独習する場合」の心得として『よい指導書を求めれば、良師に師事していると同じように修練できるから、けして悲観することはない』とあり、
また同章第三節では「団体で修練する場合」として『学校、自衛隊、会社など団体の空手部では、気心の知った者同志が稽古するので、修練上有利な面が多くその効果も大きい。
たとえば、相手の得意とする術技を自分は不得意とし、逆に、自分が得意とする術技を相手は不得意とする場合、双方の得意技を互いに交換して会得することができるーー。』とあり、
更に別項では『部外の競技試合を利用する』『合宿を効果的に利用する』と教えられております。
創設当時の自衛隊は、組織の改編がたびたび行なわれた時期でもあったので、立川での最初の弟子たちもやがてバラバラに転属する可能性が高く、事実、立川部隊は一年半位で都内の越中島部隊に移駐しました。
幸い殆どのものが同一部隊にとどまることができましたが、何人かは他部隊へ転属し、その後の躰道から離れざるを得なかった者もいました。(つづく)