尾崎健一氏は祝嶺正献先生に空手道、躰道の指導を受けた人。 躰道師範協議会副会長。
ロック歌手・尾崎豊氏の実父であります。
躰道壮年倶楽部講演会の資料より掲載しています。
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「祝嶺正献先生との出会いと躰道を学ぶ息子達」(その6) 尾崎健一
その頃立川の町は米軍の航空基地(フィンカム)を中心にまだまだ戦後の色彩が濃く町の主役は、残念乍らアメリカの兵隊さんでした。
クリスマス近くになると、町ですれちがう兵隊さんの多くは、勿論しっかりと女性と腕を組んでいます。
驚いたことに男の兵隊さんが耳にイヤリングをつけているのです。
日本では女性のイヤリングさえ珍しい頃です。
それともう一つの驚きは彼らの薄着です。
雪のチラチラする日に、半袖の私服で外出する兵隊さんなども見かけましたが、寒そうにするどころか、ツヤツヤとした赤ら顔です。
何しろ自衛隊の私たちは古い兵舎のあとを利用しているので、私たちが入った建物は、昔、馬が飼われていたとかいうところで、床はありません。
地面がむき出しで、時々馬蹄の錆びたのが出てきたりしました。
止むを得ず、古い倉庫の大扉を引きずってきて、事務机の下に敷きつめました。
ストーブの燃料は石炭で、これが一日バケツ一杯です。
残業の時など古い兵舎の板壁をはがしてきて燃やしたものです。
皆が寒がっているのを見兼ねた上官が『勤務中外套着用許可』と命令を下し、冬はオーバーを着て寒さに耐えて仕事をしました。
米兵の方は、恐らく温かい暖房の部屋からでてきて、体の冷めないうちに近くのバーへ入って、また女性と一杯やる訳ですから、たぶん雪の中でも赤い顔をしていられたのでしょう。
こんな町へも、時には空手仲間の酒好きは、先生の後にさえついていれば恐いものなしという顔で、ゾロゾロとついて歩いた事も、今となっては懐かしい思い出となりました。(つづく)
ロック歌手・尾崎豊氏の実父であります。
躰道壮年倶楽部講演会の資料より掲載しています。
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「祝嶺正献先生との出会いと躰道を学ぶ息子達」(その6) 尾崎健一
その頃立川の町は米軍の航空基地(フィンカム)を中心にまだまだ戦後の色彩が濃く町の主役は、残念乍らアメリカの兵隊さんでした。
クリスマス近くになると、町ですれちがう兵隊さんの多くは、勿論しっかりと女性と腕を組んでいます。
驚いたことに男の兵隊さんが耳にイヤリングをつけているのです。
日本では女性のイヤリングさえ珍しい頃です。
それともう一つの驚きは彼らの薄着です。
雪のチラチラする日に、半袖の私服で外出する兵隊さんなども見かけましたが、寒そうにするどころか、ツヤツヤとした赤ら顔です。
何しろ自衛隊の私たちは古い兵舎のあとを利用しているので、私たちが入った建物は、昔、馬が飼われていたとかいうところで、床はありません。
地面がむき出しで、時々馬蹄の錆びたのが出てきたりしました。
止むを得ず、古い倉庫の大扉を引きずってきて、事務机の下に敷きつめました。
ストーブの燃料は石炭で、これが一日バケツ一杯です。
残業の時など古い兵舎の板壁をはがしてきて燃やしたものです。
皆が寒がっているのを見兼ねた上官が『勤務中外套着用許可』と命令を下し、冬はオーバーを着て寒さに耐えて仕事をしました。
米兵の方は、恐らく温かい暖房の部屋からでてきて、体の冷めないうちに近くのバーへ入って、また女性と一杯やる訳ですから、たぶん雪の中でも赤い顔をしていられたのでしょう。
こんな町へも、時には空手仲間の酒好きは、先生の後にさえついていれば恐いものなしという顔で、ゾロゾロとついて歩いた事も、今となっては懐かしい思い出となりました。(つづく)