日府展出品作品「都電行く昭和も思い出の彼方」
東京都美術館で開催された日府展の中に、目を惹く作品があった。
「都電行く昭和の思い出の彼方」(作・柿沼邦明氏)
池袋駅行きの都電が日之出町二丁目の停留場に停車している風景である。
丸物の広告が掲載しているが、今の池袋パルコの場所に当時は丸物百貨店があった。
後方でクロスしている都電は、都内で唯一残った荒川線(早稲田~三ノ輪間)で今も走っている。
昭和30年代の風景である。
都電の17番は池袋~数寄屋橋間を走っていた。
池袋駅前から都電17番で数寄屋橋行に乗車して、都立竹早高校前の停車場である同心町まで通学をしていた。
当時の乗車賃は15円で、七枚綴りの回数券が100円であった。
大塚~錦糸町間の都電は16番であり、大塚三丁目から春日町までは17番と同じ線路上を運行していた。
都電廃止後は、都バスとして運行している。
車掌が後部のドアを開けて乗客を乗せて扉を閉めると前方の運転手に「チンチン」とベルを鳴らして知らせる。そこから都電のことをチンチン電車と呼ばれていた。
あまりにも懐かしい風景の日本画であったので掲載しました。
(6月4日記)
東京都美術館で開催された日府展の中に、目を惹く作品があった。
「都電行く昭和の思い出の彼方」(作・柿沼邦明氏)
池袋駅行きの都電が日之出町二丁目の停留場に停車している風景である。
丸物の広告が掲載しているが、今の池袋パルコの場所に当時は丸物百貨店があった。
後方でクロスしている都電は、都内で唯一残った荒川線(早稲田~三ノ輪間)で今も走っている。
昭和30年代の風景である。
都電の17番は池袋~数寄屋橋間を走っていた。
池袋駅前から都電17番で数寄屋橋行に乗車して、都立竹早高校前の停車場である同心町まで通学をしていた。
当時の乗車賃は15円で、七枚綴りの回数券が100円であった。
大塚~錦糸町間の都電は16番であり、大塚三丁目から春日町までは17番と同じ線路上を運行していた。
都電廃止後は、都バスとして運行している。
車掌が後部のドアを開けて乗客を乗せて扉を閉めると前方の運転手に「チンチン」とベルを鳴らして知らせる。そこから都電のことをチンチン電車と呼ばれていた。
あまりにも懐かしい風景の日本画であったので掲載しました。
(6月4日記)