ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.1.20 ある訃報から・・・人が一人亡くなるということ

2012-01-20 21:42:57 | 日記
 連休明けの朝、突然ある方の訃報を聞いた。
 これまで闘病中ということを聞いたことがなかったので、思わず、「えっ、えっ、えーっ」と3回も驚きの声を発してしまった。
 現職の男性職員で、亨年58歳。定年まであと2年ちょっと、というところだった。

 この職場に長く勤務されていた方だ。直接同じ事務室にいたことはいなかったが、私がこの職場に来て以来の顔見知りであった。飄々としてマイペースで一匹狼のような存在だった。
 朝、たまに出勤簿に押印するあたりですれ違うことがあり、一言二言挨拶程度の言葉を交わすだけだったが、最近、「おはようございます。」の返事が返ってこないこともあった。後でわかったことだが、年明けから体調を崩して入院されていたとのことだった。
 確かにここ何年かで、かなりお痩せになっていた。ダイエットというわけでもあるまいに、とは思っていたが。
 肝臓が悪かったという。お酒がその命を縮めたのかどうか。

 単身で、10年ほど前に伺った時には、ご両親がお近くにお住まいとのことだったが、現在はご健在なのかどうかわからない。ご親族がいたのかどうかも、わからない。
 その後、なかなか回章が回らなかった。身内の方への連絡がつかなかったようだ。職員が全て地方公務員だけだった時代には毎年作成していた緊急時の連絡先等を記した名簿も、非常勤職員、常勤職員、正規職員、人材派遣職員など、多種多様の職員が頻繁に入れ替わり、数年前から個人情報保護等も絡んで、毎年更新することもなくなっている。
 結局、第一報から3日目の夕方、ようやく「葬儀は直葬(火葬式)にて執り行われます。」という喪主も何も記載されていない簡単な回章が送られてきた。
 お別れに行きたい方たちはそれに備えて算段をしていたようだが、斎場では「お焼香は固くお断りします」とのことだったという。

 けれど、人が一人亡くなるということは、火葬にして「ハイおしまい」では済まないだろう。
 帰らぬ人になると思って入院するとは思ってもいなかっただろうから、今回の入院前に彼が全て手配をして、住まいを片づけていた、とも思えない。かといって、後のことを依頼されていた方がいなければ、勝手に手をつけるわけにもいかないだろう。相続する方がいるのかどうかもわからない。

 以前文庫で読み、さらには映画を観たさだまさしさん原作の「アントキノイノチ」を思い出した。遺品整理会社の話だった。 その映画の台詞にあったとおり、「生きていることは恥ずかしい」ことに満ち満ちている。けれど、人が一人亡くなる、ということはそれを含めて全て片づける、ということだ。

 ひとつだけ心が救われたのは、彼がたった一人で、誰に看取られることなく、自宅で息を引き取り、何日か経ってから見つかった、ということではなかったということ。少なくとも、病院で亡くなってすぐに死亡確認してもらい、それ相応の扱いを経て、荼毘に付されるのだ、ということだ。

 お別れには行けないけれど、気持ちだけは、ご冥福をお祈りしたい。合掌。

 体調だが、昨夜は食欲もなく、だるく、火照りも気持ち悪さが酷くなったので早寝。なんとか無事眠ることが出来た。
 朝起きると雪。こわごわとゆっくり時間をかけて朝食後、イメンド80㎎とロキソニンを飲む。これ以上出来ないほど厚着をして出かけたが、顔だけ火照って熱っぽくうっとうしい。お腹がグルグルかきまぜられるような吐き気は相変わらず。集中力が続かず、細かい仕事がかなり辛い。帰りは雪が雨に変わっていたが、風が強く本当に寒い。
 とりあえず、明日はお休み。今日も早く休みたい。
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2012.1.19 中待合廊下と化学療法室にて・・・患者の気持ち

2012-01-19 21:43:56 | 日記
 昨日の通院日のこと。
 いつものように中待合で本を読みながら待っていると、私の前の患者さんが廊下に出ていらした。(あ、次だ)と思って荷物をまとめた。普段なら、その後まもなく先生から呼ばれるのだが、先生も後処理やもろもろの連絡があったようで、なかなか呼ばれない。
 じろじろ観察するつもりは全くなかったのだが、出てこられた患者さんは私の隣にお座りになった。バンダナ姿。お化粧はきちんとしておられるが、頭髪、眉も完全に脱毛されているのがうかがえる。そして、手元。どの指も痛々しい絆創膏だらけで、かろうじて絆創膏をしていない手の爪は黒く変色し浮き上がっておられる。かつての自分を思い出して、胸が痛くなった。
 そこへ、看護師さんが「それでは皮膚科にいきましょう。」とお迎えに来ていた。患者さんは私より大分年配で70代前半くらい、とお見受けしたが、「ちょっと爪をひっかけるだけで、剥がれてしまいそうで・・・」と心配そうに訴えておられた。これまたかつての自分と同じ。私もペナペナになった爪の保護のためにドレニゾンテープを貼ったら、それを剥がす時に一緒に爪が剥がれてしまった苦い記憶がある。そのくらい爪のダメージは大きかった。それでもいつも白手袋をしていては細かい作業等何も出来なくなる。水仕事をすれば、絆創膏はどうしても剥がれてしまう。私はタキソテールの副作用だったが、この方は何の薬だろう。おそらく同じなのではないか、と思った。それにしても大きい病院の中で複数科受診は大変だ。待ち時間がダブルトリプルになると本当に憔悴する。うまくコントロール出来ますように、とひそかに祈った。

 看護師さんと彼女が皮膚科に向かってほどなくして、私は診察室に入った。そして診察後、化学療法室へ移動。
 点滴椅子に座って少ししたところで、いきなり荒々しい声が聞こえた。男性の声。感じからすると60代か70代か(職場でも世間でもどこでも、気付けばもう結構な年配である私だが、こと病院に来るとまだまだひよっこの部類なのだ。)。「薬、まだなのかなあ?いつもいつもぐずぐずモタモタして本当に遅いんだよね、待ち時間で疲れちゃうんだよ!」と容赦ない。投薬中の寝息以外はしーんとしている化学療法室内に響き渡る。そして緊張感と居心地の悪さが走る。

 看護師さんが「ごめんなさいね。もう少しですから・・・すみません。」と謝っておられる声が聞こえる。
 インフルエンザ等既成の簡単な注射ならまだしも、ここに来る患者さんが投与される注射や点滴は其々がオーダーメイドだから、診察後、先生が薬剤部にリクエストを出して初めて調剤が始まる(事前に準備をした場合、当日体調不良等で治療中止の判断が出た時、高価な薬が丸ごと無駄になってしまう。)。薬剤部で何重ものチェックを重ねて、化学療法室に届くまで小1時間はかかる。朝、受付をしてから診察室に呼ばれるまで1時間(採血等があればさらにその所要時間と、結果が分かるまでの最低1時間が加わる。)、化学療法室で点滴椅子に座れるまでに早くて15分、空きがないとそれ以上、そして薬が届くまでの時間を足すと、病院に入って、検査等がなく、すんなりいっても注射や点滴をしてもらえるのに最短で2時間以上かかる。
 待ち時間で疲れる、というのは本当にそうだ。だから、点滴椅子を確保して寝てしまえるまでは本を持っていったり、いろいろ時間潰しのツールが必要になるわけだ。

 気持ちはよーく分かる。病院に通っているのだから、元気ハツラツ!であるわけがない。それでも、少しでも良くなるために待ち時間覚悟で、大枚をはたくことを覚悟で、其々体に鞭打って病院に通ってきているわけだ。けれど、そうして声を荒らげてみたところで、薬が届くのが早くなるわけではない。複数の看護師さんたちが沢山の患者さんを相手にしている。一人一人違う薬を間違えたりしたら、それこそ大ごとだから、細心の注意をしながらダブルチェックを重ねて、ようやく私たち患者のもとへ正しい薬を届けてくれる。だからこそ、そんな時に、こんなふうに声に出して言ってみてしまうことがお互いのためになるとは決して思えない。

 それから30分ほどしただろうか、今度は同じ方の明るい声で、「どうもありがとうね~」が、聞こえた。
 (ああ、無事に薬が届いて終わったんだ。あまり長い点滴ではなかったのだな)と判った。私などのように点滴時間が2時間(かつて一番長い時は4時間半ということもあった。)以上かかるならあきらめもつくけれど、確かに30分もかからない点滴で、延々と待たされるとそれこそ気持ちがささくれだってしまうのかな、と思う。
 それでも、せっかくそんなふうに御礼が言えるのだから、ぐっと堪えてほしいな、と思った。なぜって、あなたの娘さん世代よりもっと若い看護師さんたちが、こんなに一生懸命働いてくれているのだから。終わりよければすべて良し、かもしれないけれど・・・。

 つくづく賢い患者になりたい、と思う。人間と人間とのこと、主治医や看護師さんたちとの関係をうまく繋げていくことは、ひいては治療もうまくいくように思えてならない。

 さて、今日の体調だが、朝、予定通りのイメンド80mgとロキソニン、マグラックスを飲む。昨夜はマイスリーのお世話にならずとも5時間は連続してしっかり眠れた。朝食もゆっくり時間をかけて、用意したものはお腹に入れられた。お昼前にマグラックス効果で珍しく無事にお通じがあった。昼、やはり気持ち悪さが出てきている。それでも午後の会議等に備えてなんとか昼食をお腹に入れて、ロキソニンを飲んだ。マグラックスはひとまず中止。午後になると、お腹の中をぐちゃぐちゃとかき混ぜられる感じがある。夕方、火照りも出てきた。
 結局、今日ももろもろ立て込んでしまい、定時には帰れず仕舞い。大急ぎで作った夕食を夫と息子が美味しそうにパクつく姿が何ともうっとうしい。さすがに空腹でロキソニンを飲むといきなり胃が荒れてしまうので、最小限に。
 副作用はあと1日半の辛抱・・・だ。


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2012.1.18 ハーセプチン149回目(3倍量12回目)、ナベルビン25クール1回目

2012-01-18 21:34:45 | 治療日記
 今日もいつも通り家を出た。やはり寒いが、完全防備でしっかり着込んだ。私鉄もJRも遅れず、順調。最後の10分ほどは座ることも出来て、人心地つけた。

 いつも通りの時間に病院に到着して、自動再来受付機にIDカードを通し、先ずは採血受付へ。20人待ちなので、それほど時間はかからないかと思ったが、番号ランプがなかなか進まない。ようやく採血室に入ると、今日は看護師さん・技師さんたちの数が少なかった。けれど、待ったかいがあってラッキーなことに上手なHさんに当たり、思わず「幸先がいいです。」と言ってしまう。Hさんも「お久しぶりです。そんなこと言われると頑張っちゃうじゃないですか。」とスーッと殆ど痛みなく刺針。今日はマーカー等フルコースチェックなので4本採取。受付から30分ほどの待ち時間で終了した。
 次は2階に上がって胸部レントゲン撮影。こちらも10分ほどの待ち時間でスムーズに撮影終了。1階に降りて腫瘍内科で受付。「今日はご自身で受付横の自動血圧測定器で血圧を測って、結果の紙を先生に渡してください。」とのこと。右手から採血したばかりだったので、30分ほど待ってから測定。珍しく高めで106-64。脈拍は77。

 今日は、点滴前に吐き気止めのイメンドを飲まなければならないので、予め売店でミネラルウオーターを買っておく。中待合に入れたのは、小1時間ほどしてから。診察室に入ったのはそれから15分ほどしてからだった。 
 まずはこの2週間のご報告。胸部の圧痛、鈍痛が酷い話をする。それから前回、吐き気止めをイメンドに変えた結果を報告。吐き気はブロックされていたが、残業等で疲労もあったのか、土曜日は1日ダウンしたこと、ナウゼリンを日曜日まで飲んだこと、翌週もずっと肩こり、胸痛が続いていること、お腹の調子はようやく快調になっていること、眼の周りがまた爛れていること、をお話した。先生からは「イメンドは、今回は続けてやってみて、あまり吐き気の様子が変わらなければまた相談ということで、今日は、今日と明日の分と、次回投与日の分を処方しましょう。」とのこと。確かに薬価が高いし、目に見えて効果がないのではもったいないかもしれない。が、明日、明後日は無理せず過ごせば、無事乗り切れるのではないか、とも期待している。診察室での体温は6度2分。

 レントゲンの結果は、前回10月との比較で、右、左とも腫瘍茎や影の変化はなし。胸痛が続いていることから増悪しているのでは・・・と心配だったので本当に安堵する。「ここのところ長らく骨シンチを撮っていませんが・・・」と相談すると、「確かに今までなかったところに新しい骨転移がある、という場合は骨シンチで見つかるが、同じ場所であればCT撮影で十分わかる。寒いと傷が疼くというのはよくあることだが、骨転移により、骨には相応の変化はあるから、そのための痛みではないかと思われる。病気の進行に即結びつくわけではない。」とのこと。必要以上の検査はしない、というスタンスが嬉しい。また、「(採血結果では)白血球は2,700、血糖値は相変わらず低いが栄養不良ではない。マーカーは下がっており正常範囲内になっている。」とのこと。「レントゲンもマーカーも不変だったり下がったりしている、ということは必要以上に胸痛を心配することはないということですね。」と言うと「だから、これからも頑張りましょう。」とお墨付きを頂き、嬉しい。
 本当に主治医のたった一言で患者は天にも昇ることも出来るし、地獄にも突き落とされることにもなる。

 そして化学療法室へ。結果が嬉しくて夫に報告メール。マーカーが下がったのは去年の夏以来のことだ。
 入口で10分ほど待つと、いつもの看護師Oさんが、「(椅子に案内する前に)今日はベッドで先に針刺しをしてしまいましょう。」とのこと。Oさんなら安心なので、ホッとして横になって待つ。リラックスしている状態が良いのと、Oさんの技術とで、嘘のようにスーッと痛みなく翼状針がポートをキャッチ。逆血もOK。そして点滴椅子へ。窓際の点滴椅子は陽が当たっていると、温室のように暖かい。そうでなくともなんとなくウトウトしてしまいそう。

 30分ほど待つと薬が到着。今日はハーセプチン、グラニセトロン+デキサート、ナベルビン、生理食塩水の4本。ハーセプチンを1時間で落とすので、開始前にイメンドを飲む。次のグラニセトロン+デキサートは30分かかるので、ナベルビンが入る時には内服後1時間半が経過していて、イメンドが体内に十分いきわたるという計算だ。
 開始はお昼頃。夫から新技の「祝!」という打ち上げ花火のデコメの返事が届いて、笑ってしまう。
 2時間ほどで無事終了した。案の定、イメンドを飲んだら途中でどうしようもないほど眠くなり、読んでいる本を置いて爆睡してしまった。気づけば、最後の生理食塩水が終わっていて、看護師Mさんに「寝られましたか?」と声をかけられる。抜針はちょっぴりの衝撃で済んだ。今日は針にツイていた。終了時の血圧は95-51。

 そんなわけで今日も1冊半しか読めなかった。それについてはまた明日以降に。
 前回は院内処方でイメンドが出たが、今日は通常通り院外処方。会計も混んでおり、今日の病院滞在時間は5時半弱。それから薬局に行くと、ソファに座れないほど混雑していた。たった3錠のカプセルをもらうだけで小一時間。なんとか遅くまでやっているランチタイムに滑り込み。少し控えめにして、食後にマグラックスを飲んでおく。

 買物をして帰宅すると、珍しく息子が帰っていた。明日は模試だというのにまったりと相撲観戦中。そして今年初めてのお花も届いていた。
 今日はオレンジや黄色、殆どが蕾なので、まだ何色かわからないが、合計20本のポピーとレザーファン。花言葉は「七色の恋」だそうだ。綺麗に咲いたら、家の中は一足飛びに春になりそうで楽しみだ。

 イメンドのおかげか殆ど気持ち悪さはない。さすがに長丁場で疲れたが、ちゃんと夕食を作って、ふつうに食べることが出来た。味覚異常もなし。今日は早めに寝て、明日明後日もあまり無理せず無事に乗り切りたい。


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2012.1.17 寒中お見舞い申し上げます

2012-01-17 22:50:42 | 日記
 ここのところ本当に寒い。寒中だから仕方ないとは思うけれど、“寒い”と“痛い”がセットになってやってくると、ただただ早く暖かくならないかな・・・ばかり考えている。

 阪神・淡路大震災から今日で17年。
 この寒い時期に被災された方々の痛みを、いま改めて思う。いつかもこのブログに書いた記憶があるが、当時私は研修でパリに滞在していた。奇しくもこの日、午後からの仕事に備えて美容院でカットしてもらっていた(フランス語など全然出来ないのに、それでもずうずうしくフランス研修に行ってしまうのが無謀なところだが、幸い、美容院は日本人の美容師さんの経営だった。)。時差が8時間あるから、日本では既に夕方になっていたはずだ。そこで、関西で大変な地震が起きたらしい、という第一報を聞いた。
 遠く離れた日本で何が起きたかとても気がかりだったが、ネットもメールも使えなかったし、当時住んでいたストゥディオには当然テレビはなく、新聞もとっていなかったから、その映像を全く見ていない。かろうじてラジオは持っていたが、NHKの電波はなかなかうまくキャッチできなかった。

 翌朝、パリでお世話になっていた或る事務所を訪ねたところ、そこには日本の新聞が置いてあり、各紙1面に目を疑うような写真が載っていた。それでも、テレビで動く映像を見ていないため、リアルな現実として受け止めることが出来ず、何が本当なのかぴんと来なかった。とんでもないことが自分の国で起こっていたのに・・・。

 そして16年後の3月、東日本大震災。地震、津波、原発事故。
 あまりのショックで、眠れなくなるほどの映像を目の当たりにし、一時は、自分が治療を続けながら生きていること自体、どんな意味があるのだろう・・・というとても不安定な思いに苛まれた。
 その時のこと、そして、いまだに避難所生活をされている方々を思うと、寒い、痛い等とは言っているのが申し訳ない思いだ。

 仕事の方は、さすがに第四四半期ということで、どんどん会議等の予定が入り始めている。スケジュール管理と体調管理をうまくやりながら、前泊等の自衛策も講じて、乗り切っていかねば・・・、と思う。そして、被災された方々にも一日も早く、名実ともに暖かい日が来てほしい、と思う。

 そして、明日はまた治療日だ。
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2012.1.16 前回の通院日以降に読んだ3冊

2012-01-16 07:15:38 | 読書
 前回の通院日には1冊半しか読めなかったのだが、その後、合わせて3冊読み終わったのでご紹介する。
 
 1冊目は坪田一男さんの「長寿遺伝子を鍛える」(新潮文庫)。
 帯には「余裕で100歳!21世紀アンチエイジング研究の劇的な最先端」「美しく年を取るためにはどうすればよいか?その答えがここにある。」とサイエンス作家の竹内薫さんが絶賛!という解説文が書かれている。
 裏表紙には「21世紀に入り、劇的に進化を遂げたアンチエイジング研究。老化と寿命を研究する最新の科学分野において特筆すべきなのは「寿命を延ばす」遺伝子群の発見と、それらを活性化させる方法、すなわち「鍛え方」が続々と報告されたことだった。遺伝子群発見に至る研究者たちの知られざるドラマと、いまなお次々と発表される最先端研究の成果を、斯界の第一人者が生き生きと紹介する。」とある。
 筆者は眼科医だが、加齢による眼病である白内障の手術をした患者さんや、レーシック手術で視力を回復した中高年が突然若返ってしまう、ということを目の当たりにし、アンチエイジングに興味を持つようになったという。
 長寿遺伝子の発見やメタボなど話題は多岐にわたり、がんの話も出てきて興味深かった。いずれにせよ、“ごきげん”や“幸せ”でいること、笑顔を作っていればこれらの状態が作り出せること、ひいては長寿につながる、ということにとても頷けた。
 
 2冊目は阿部彩さんの「弱者の居場所がない社会 貧困・格差と社会的包摂」(講談社現代新書)。
 帯には「貧困問題の新しい入門書 「つながり」「役割」「居場所」から考える」とある。「社会的包摂」とは、従来の貧困の考え方をより革新した「社会的排除」に相対する概念で、「社会につつみこむこと」であるという。貧困とは、「必要なモノやそれを得るための資源(お金やその他の手段)がない」ことであるが、社会的排除とは、「社会、つまりは制度や仕組み、人間関係、物理的な場所、から追い出されることだという。
 プロローグ・「社会的包摂と震災」において筆者は自らの立場を明らかにしながら、生活崩壊の実体、「最低生活」を考える、本当は怖い格差の話、と章が進んでいく。4章目の格差の話で、「格差」という、人々を「上」や「下」の段階にランク付けするシステムの仕組みが人間関係を劣化させている、という指摘には唸った。一部の人が排除される社会は、すべての人が生きにくい社会なのである。筆者があとがきで述べているとおり、日本の将来の姿が格差社会のなれの果ての姿でないことを願いたい。

 3冊目は後藤文夫さんの「超高齢医療の現場から 『終の住処』診療記」(中公新書)。
 帯には「すこやかに老いるために 老いと死を見守ってきた病院長からのメッセージ」とある。表紙の裏には「高齢者施設に囲まれた高原の小さな病院。その院長である著者は、日々、多くの85歳以上の超高齢者を診療しているが、苦悩は深い。急速な高齢化により、介護施設の不足は深刻で家族は受け入れ先探しに疲弊する。認知症高齢者の介護問題や、年金不足による経済的トラブルも多い。どうすれば、豊かな老後を過ごすことができるか、そして穏やかな死を迎えることが出来るのか。老いと死を見守ってきた現場からの貴重な報告と提言」とあり、義母のこともあり、手に取った。
 実の娘の介護放棄、穏やかな死と「死の質」、認知症の合併症による家族とのトラブル、認知症患者の悪口雑言とクレームに疲弊する介護職員、在宅介護と介護ストレス、入院三か月・これからどこへ? 姉が妹の障害年金を流用など、豊富な実例が提示される中で、やりきれない現実を目の当たりにした。
 安楽死・尊厳死の問題、超高齢期を前向きに生きて呆けの進行を遅らせる等、考えさせられる内容が多かった。
 
 明日は都心で早朝会議のため、今日はいつもの宿に前泊する。夫と息子は恒例のカレーの夕食である。
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