ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.1.25 ナベルビン25クール2回目、ゾメタ65回目

2012-01-25 21:04:32 | 治療日記
 昨朝の“すってんころりん”に懲りて、今日もレインブーツで恐る恐る早めに出かけた。やはり日陰は雪がそのまま残っており、カチカチに凍結している。打撲した箇所は殆どどこも痛まないが、首には衝撃が結構あったようで、前方には曲げられても、左右、後方に動かすとズキンと痛む。加齢現象もあるだろうし、なんといっても寒くて体のどこもかしこも固まっているから、無理せず気長に治るのを待つ感じだろうか。

 最寄駅では若干電車が遅れていたが、JRとの乗換は何とか滑り込みセーフ。そして、ラッキーにも乗換駅から2駅先で、座ることが出来た。病院最寄駅では、昨日雪が降ったのは嘘のように、雪は全く跡形もなかった。

 いつもどおりの時間に病院に到着したが、再来自動受付機から長い列が出来ていた。今日は診察前検査がないので、売店でイメンド用のミネラルウォーターだけ買って、内科受付をして待つ。今日の自動血圧測定器の結果は、到着してまだ間もなかったからか117-70、脈拍は93。

 20分ほどで中待合に入れ、その後10分ほどで診察室に呼ばれた。実に順調な滑り出しだ。診察室での検温は6度8分。まずは先週の報告から。投与当日は吐き気もブロックされているが、木曜日後半から辛くなり夕方からは気持ち悪さが酷くなる一方で、金曜日の昼にロキソニンを飲み終えたが、土曜日はかなりだるく体もむくんで昼頃まで気持ち悪さが続いたこと、結果としてナウゼリンを日曜日の朝まで飲んだことをお話した。
 なかなか上手くいかないが、吐き気対策として、内服のステロイドを上乗せする方法はどうか、との提案があった。が、既に今の量でも火照りがきついので・・・と言ったところ、乗り物酔いでお馴染みのトラベルミンを1日4回毎食後と就寝前に上乗せして試してみることになった。次回のイメンド、トラベルミン、マグラックス等を処方して頂き、再来週の予約が入って診察室を出た。

 化学療法室へ移動。まだ早いので空いている。15分ほどで窓際の定位置の点滴椅子を確保した。すぐにイメンド125mgを飲み、看護師のKさんがタイマーをセットしてくれた。
 その後10分ほどでベッドに移動し、Bさんが針刺。圧迫は強かったが、痛みはそれほどでもなく、逆血もOKでほっとした。
 タイマーの時間が来て、薬も届いて、今日はグラニセトロンとデキサート、ナベルビン、生理食塩水、ゾメタ、生理食塩水の5本。1時間ほどするとイメンドが効いてきて本当に眠くなる。本を読むのを諦めて、点滴椅子を目一杯リクライニングして目をつぶった。途中ナベルビン、生理食塩水、と変わってゾメタになり、10分ほどしたときに、いきなり胸が痛んで息苦しくなった。深呼吸をしてみたが、つばを飲み込むのも飲み込みづらく、つかえた感じ。焦った。このまま酷くなったらナースコールかも・・・と、椅子を少し起こして体位を変えてみたところ、だんだん落ち着いてきた。
 生理食塩水に替えてもらう時に、看護師Mさんに、「こんなことは初めてですが、ゾメタ開始後10分くらいで胸痛があって、今は大分落ち着いたのですが・・・」とお話した。すぐにKさんが主治医に連絡してくれた。先生曰く「ゾメタでそういう副作用が出ることはないと思うが、ちょっと様子を見ましょう。」とのこと。終了後、抜針はKさん。若干の衝撃で済んだ。再度血圧測定は106-61。指先の酸素量も問題なし、とのこと。

 そのまま椅子で安静にしていると、先生からすぐにレントゲンと心電図を撮るよう指示が出たということで、荷物はそのままで、まず2階のレントゲン受付へ。殆ど待つことなく、胸部レントゲン撮影は正面からと横方向からと2枚。1階に降りて心電図へ。ここでは30分ほど待った。既にこの頃には全く症状が落ち着いてしまっていたのだが、帰路また具合が悪くなったら・・・と思うと、気が気ではなかった。
 終了後、化学療法室へ戻る。先生はまだ初診の方の診察中で(一体いつお昼を召し上がっているのだろう、と思う。)30分ほど待つ。呼ばれて、再度診察室へ。
 「お騒がせしてすみません。」状態だったが、やはり撮ったばかりの心電図、レントゲンはともに異常なしとのこと。狭心症等は症状がある時に撮らないとわからないらしい。カテーテルのトラブルもないことを確認して頂き、とりあえずほっとする。「ゾメタは関係ないと思うが、昨日の転倒の影響かな・・・」と首をかしげる先生。

 そんなわけで、今日は順調に早めにゆったりランチ!と、取らぬ狸の皮算用をまたやってしまった。
 追加検査と診察が終わって、ようやく会計へ。会計も混雑しており、ここで30分ほど待つ。さらに薬局も相変わらずの混雑で、20人ほど待っていた。大量の薬を処方してもらっている人が目立ち、薬剤師さんの数が少ない様子で、思わずげんなりしてしまった。

 病院滞在時間に薬局滞在時間を足して6時間半弱。ランチタイムは当然終了。なんとか食べさせてもらえるお店で人心地着いた。
 普通なら心臓等、なんの心配もしないのだけれど、ハーセプチンは心毒性の薬であり、もう3年半も続けていることを考えると、やはり無理は出来ないな、と思う。
 今日は2冊読んだが、それについてはまた明日以降ご報告したい。

 買い物をしながら、帰宅したらもう真っ暗。荷物も多くなってしまい、軟弱だが迷わずタクシーに乗った。家の前はまだ凍結している。明日も引き続き、レインブーツだろうか。

 


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2012.1.24 すってんころりん

2012-01-24 20:22:36 | 日記
 昨夜の大雪には驚いた。朝、起きると、あたりはすっかり銀世界。都心でも、平成18年以来6年ぶりの4㎝の積雪だそうだ。この辺りは10㎝くらいは優にありそう。朝のうち、抜けるような青空だったから、暖かい部屋の中から窓の外の景色として見ているにはとても綺麗。
 が、この凍結した道路の中、いざ出勤、である。

 夫と息子は、「電車が遅れているだろうし、今日は駅まで歩くのだから!」と、私にヤイのヤイのと追い立てられていつもより15分早く出かけた。いつもの革靴でなく滑り止めの靴を履いて。普段は自転車で5分ちょっとのところを、徒歩で20分近くかかったようだった。

 そして、人の世話を焼いている場合ではなかったのは、他でもない私である。
 上から下までしっかり風が入らないように厚着をして、ロングレインブーツで完全防備。当然いつもより早目に家を出た。さすがに日陰は凍ってガチガチのアイスバーンである。風も半端でなく冷たい。頬がヒリヒリする。
 住まいから大学までの通勤路は、地形を活かしているといえば聞こえが良いが、何分アップダウンが激しく坂道ばかり。へっぴり腰で足元を確認しつつ一歩一歩ゆっくり歩く。
 そして、ようやく事務室がある建物前まで無事到着・・・ふと、雪かきをしている方が目に入って「ご苦労さまです~。」と言おうとした瞬間、スローモーションのように目の前の景色が下がった。あっ・・・と思った時は尻もちをついてすってんころりん。「ご苦労さまです。」を言うどころか先方に「大丈夫ですか?」と言わせてしまった。

 「アイタタ・・・」と言いつつ、なんといってもバツが悪いし、「すみません・・・」と意味不明なことをつぶやきながら、お尻についた雪を払いつつ何とか建物に入った。
 手袋もしていたしダウンコートも着込んでいたから、どこか擦り傷、切り傷というわけではないが、右臀部と左手の平を打撲した。立位の姿勢がいきなり両足を投げ出した尻もち姿勢になったわけだから、首がガクンとむち打ち症になったように痛む。ここのところせっかく胸痛が少し和らいでいたのに、体幹に余計な衝撃を加えてしまったからか、何やらまた痛み出した。
 転倒して骨転移のある部位を強打するのが何より怖いから、自転車に乗ることさえ止めたのに、こんなことで骨折でもしたら泣くに泣けない。不注意からくる自業自得以外の何物でもないのだが、本当にトホホ・・・である。

 夫にメールで「すってんころりんした。あなたも気をつけてね。」と連絡したら、「だから言ったじゃない。骨が弱っているのに、骨折でもしたらどうする!帰りはタクシー呼んで帰りなさい。」と怒りのメールが返ってきた。反省。
 とにかく救急車で搬送される、などという一大事にならないで、本当に良かった。

 ここのところ、いろいろ立て込んでいてなかなか定時で帰れない。帰路はいつもの裏道をやめて、遠回りだけれど大通りを通って無事帰宅した。当分、日当たりの悪い裏道を歩くのは自粛しておこう。


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2012.1.23 みちのくphoto caravanで

2012-01-23 20:59:58 | 日記
 勤務している大学内で、「東日本大震災写真展 みちのくphoto caravan-東北のキセキー」が開催された。初日にチラシをもらい気になったので、昼休みを利用して最終日までの2日間、2つの会場を見学してきた。

 第一会場は「フォトジャーナリストが見た奇跡」で、渋谷敦志さん、佐藤慧さん、安田菜津紀さんら三人のプロのフォトジャーナリストによる写真の展示。第二会場は「学生ボランティアの東北での軌跡」で、学生が撮影した被災地の風景やボランティア活動の写真の展示だった。

 東日本大震災からの1日でも早い復興を願う学生により結成されたという団体「みちのくcaravan」は、ホームページも持ち、この写真展への想いは次のように記されていた。

※  ※  ※(転載開始)

2011年3月11日、午後2時46分。
千年に一度といわれる大地震、大津波によって、
街が、思い出が、そしてたくさんの命が失われた。
 
そんな中、メディアに流れる凄惨な映像を前に感じた無力さ、もどかしさ。
力になりたい。ただその思いを胸に東北へ飛び出していった。
 
ボランティアとして力になれたのはほんの僅かかもしれない。
でもその中で芽生えた確かな気持ち。
「学生の自分たちにこれから何ができるのか。」
 
仲間たちと悩みながらたどり着いた答え。 
震災から半年以上が経った今だからこそ伝えたい。
 
“写真家”として。
“ボランティア”として。
 
人々が一歩一歩着実に歩んできた、東北の軌跡を。
未曽有の大震災にも負けず、着実に復興へと歩んでいる奇跡を。

                     「みちのく caravan」運営メンバー 一同

(転載終了)※  ※  ※

 昨年10月の国際基督教大学を皮切りに、既に10大学での展示が終わっている。アンケートも書かせて頂いてきた。ありきたりだけれど、学生たちの若い力、行動力を頼もしく感じ、被災地の子供達の笑顔に癒され、沢山の元気と勇気をもらった。見に行って良かった、と思う。
 一方、プロのフォトジャーナリスト、佐藤さんは震災でご両親が住む街を失い、お母様を亡くされていた。ご遺体との対面等が写真とは別に文章で綴られており、あまりの現実にその場から動けなくなった。

 結局、今、自分に出来ることを躊躇わずに迷わずに続けること、なのだろうと思う。これは治療もしかり、だ。
 そしてこの震災のことを決して忘れないこと、いつもどこかで何か出来ることはないか、と気にかけていることが、今の私に出来るささやかなことである。

 食欲は旺盛。珍しく甘いものを体が欲している感じだ。けれど、目がとても疲れてだるくて眠い。やはり白血球が下がっているのかどうか。夜半から雨が雪に変わるという。このお天気のせいで頭も重いのかどうか・・・。あっという間にまた明後日が治療日だ。


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2012.1.22 人は育てられたようにしか育てられない-ALWAYS 3丁目の夕日‘64―

2012-01-22 21:38:56 | 映画
 標題の映画を観てきた。
 ご存知のとおり、昭和33年を舞台にした7年前の第1作、翌年の続編に続く第3作である。
 今回の舞台は1964年、東京オリンピックの年。東海道新幹線開通の年である。1961年生まれの私は、3歳になっていたはずなのだが、残念ながらオリンピックは全く覚えていない。新幹線に初めて乗ったのは、大阪に住む伯母のお見舞いに行った幼稚園児の時だったから、1966年だったか。「ひょっこりひょうたん島」は楽しみに見ていたし、テーマソングは今でも歌える。3つ上の従姉と一緒に“シェー”のポーズをした、我ながらひょうきんなおかっぱ姿の写真もあったっけ。

 夫はテレビで前週、前々週に放映されていた1作目、2作目を見て復習していたので、すんなり第3作に入り込んでいたようだ。隣でずっとグシュグシュしていた。こう来るかな、と思いつつもしっかり泣かされ、笑わされた2時間半だった。主要な登場人物はすっかりそのまま持ち上がり。大人は殆ど変わっていないのだけれど、あんなにやんちゃで可愛かった子どもたちが一丁前に思春期を迎えており、思わず隣の息子をしげしげと見てしまった。
 
 今日は、茶川先生の実家のエピソードから、タイトルを付けた(これからご覧になる方は、以下読み飛ばして頂く方が良いかもしれません。)。
 自分が小説家になることに大反対して勘当を言い渡した父が、実は自分の一番の応援団だった・・・。そのことを父が死して初めて知る息子。一方、東大を出て安定した職業に就いてほしいと望みながら、どうしても小説家になりたい、という息子(のように育てた)淳之介君を追い出してしまう茶川先生。結局、そうして自分を逃げられないところに追いつめて、自立をうながしてくれた父と同じことをしてしまう。
 子どもにとってどんな育て方が良いか、などはその時は決してわからない。おそらくどんな親もやり直しの効かない一回限りの子育てを体当たりで試行錯誤、悪戦苦闘しながら取り組む。
 そして、自分が子どもを育てる親になってみて、結局のところ、人は自分が育てられたようにしか育てられないのではないか、と思う。少なくとも私は、そうだ。父に、母に、こう育てられた、と息子に同じことを要求してしまう哀しさ。けれど、子育ては1人で出来るものではないから、夫がその両親に育てられたやり方をミックスして、また新しい我が家の子育てが出来ているのかもしれない、とも思う。
 息子もいつか子育てをする日が来るのかもしれない。私たちに育てられたそのやり方と、伴侶となる方が育てられたそのやり方をうまく折衷しながら新しい命を精いっぱい育てて行ってほしいものだ、と思う。

 今回、茶川先生とヒロミさんには女の赤ちゃんが産まれた。六子ちゃんはお医者様と結婚。ラストシーン、それぞれが夕日を見上げるその姿に、皆に幸せがやってきてほしい、と強く思った。
 そして、早くもまた、続編を楽しみにしている“昭和”生まれの私がいる。
 
 昨日は新年会帰宅後、夕食も作らずお夕寝をしてしまった。
 今朝はたっぷり眠ったおかげか、ようやく普通に朝食が取れた。そして、予定通り、夫と息子と3人で映画を観に出かけてきた。
 午後は久しぶりに骨盤矯正ヨガに参加。たっぷり汗をかいてすっかりリフレッシュ出来た。復活の日曜日、である。

 
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2012.1.21 大寒・・・プチ虹のサロン新年会

2012-01-21 23:27:10 | 日記
 昨夜は、食後リビングで2時間近くうたた寝してしまい、その後何とか入浴だけして、ダウン。
 夜半からまた雨か雪、という予報どおりの天気。朝、気持ち悪さとだるさの中、なんとか起きて朝食の準備をしたが、そのまま起きて食事をする元気がなく、息子の送り出しは夫に託して、洗濯機をセットしてまたベッドに逆戻り。
 
 次に何とか起きられたのは、起きなくては・・・と思っていた時刻(というのも、今日は楽しみにしていたプチ虹のサロンの新年会だったのだ。)の1時間近く後になってしまった。
 名実ともに大寒のお天気。霙混じりの冷たい雨だ。
 予定していた電車にはとても乗れそうにないので、「必ず伺いますから先に始めていてください」のお詫びメールをメンバーに入れて、ナウゼリンと果物を少し口にして、しっかり厚着をして家を出た。
 さすがにあまりお腹に入っていないので、歩いていてもなんだかフラフラする。ターミナル駅までは座れたので良かったが、乗換後は座れず、ちょっと不安。JRが遅れており、混雑していた。
 結局、幹事だというのに30分近く遅れての到着となってしまい、既に他の4人は待ってくださっていて、申し訳ない限りだった。

 お腹は胃が痛むほどペコペコなのに、美味しそうなお料理を見ても食欲がない。まずはナウゼリンを飲んで様子を見た。ようやく食べられそう・・・となってからはしっかり頂くことが出来て、ほっとした。
 「今年もよろしく!」と乾杯し、年末年始の各自の報告等、話はいつものように尽きなかった。
 旅行や、仕事、通院、治療など、それぞれ本当に色々抱えているけれど、やりたいことをやりたい時に、我慢しないでやっていこう、ということを改めて確認しあった。
 いつものように記念撮影もして、あっという間に3時間半が過ぎた。

 もう少し元気だったら、その後お茶をして帰りたかったのだが、途中で具合が悪くなってご迷惑をかけるわけにもいかず、今日は1次会で解散。最寄駅でお一人だけ逆方向のTさんとは駅のホームで別れ、他の3人とは私が乗り換えるターミナル駅でお別れした。

 寄り道せずに、私鉄に乗り換え、しっかり座って帰宅。普段は電車で居眠りはなかなか出来ないのだが、今日はウトウトしてしまった。最寄駅でもまだ冷たい雨が降り続いていた。

 夫は今日、一人で義母のお見舞いに出かけた。義母は近々三分粥の食事が始まりそうだ、とのこと。ほんの少しではあるが、回復の兆しが見えている。

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