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マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

マクロビオティック考・老化

2007-12-11 08:42:31 | マクロビオティック
出会い頭の衝撃でした.我が家の近くには魏志倭人伝にも出てくるらしい地名の中瀬草原があるのですが、その草原に行く道にぶつかったT字路のことでした.左折して入ってきた車を運転していた女の人、そうですね年は65歳から70歳といったところでしょうか、或いは70を過ぎていたのかもしれません.その人の口の周りの皺が忘れられません.咄嗟に醜悪なものを感じました.イヤだなあと思いました.髪型や身に付けている黄色の衣服とひどく違和感があったのです.

すれ違う短い間にそれだけのものを見ました.いえ普通全部見ているのかもしれないのですが、記憶と認識に差があるだけなのでしょう.でもその事件はまざまざと記憶を認識して忘れません.美しく老いたいとは思いますが、美しく老いるとはどういうことなのでしょうか.老化は生まれた瞬間から始まっています.60歳と赤ん坊と違うのは当たり前です.赤ん坊でなくとも昔憧れた32歳という年令の頃と違って当然でしょうし、違わないといけないはずです.でも醜いと思いたくないし、思われたくない.

帰ってきて独りこっそりと顔を眺めてみました.法令線の周囲の皮膚が特にたるんでいる!!これまでほとんど化粧やお手入れをせずに暮らしてきた私も、ちょっと引っかかるものがあります.おりしも化粧品のコマーシャルのような電話がかかって来ました.そしてあんまり打てない返事をしていたところ、このお電話に応答してくださっているのは・・・・・でしょうか?と娘かどうか聞いてくるではありませんか.それでは最初の選ばれた人というのは娘の事か・・・・・でも今度は標的を母親に変えて、使ってもらえるかどうかと聞きます.それで成分は天然由来で動物は入っていない?としつこく聞いていたら、サンプルを無料で送ってくれることになりました.これは天の声でしょうか.

美しく老いる道を探求しなければなりません.美しく人間を終える方法がマクロビオティックなのでしょうから.これも先日の教室でお話した目標ですね.目標に向かっての行動を容易くするために目的をこしらえなければなりません.

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マクロビオティック考・余裕

2007-11-26 16:23:17 | マクロビオティック
ここの所迷い多い日々を過ごしています.それでなかなか記事を書く気になれません.空白が続く日記帳みたいです.

現代に生きる私達のマクロビオティックは、自分自身の問題もさることながら自分となって現れている先祖代々の来し方にも大きく左右されています.私達は先祖を自分の中に持っているというのが近いかもしれません.その上人間の多様性という枠の大きさが、人間の特徴である精神性にまで及ぶので、様々な人々の許容範囲を考えると時々「何をか言わんや」と思います.

桜沢先生でさえも、ご自分の許容範囲を甘く考えられたとなると、私達は余程自分に厳しい覚悟を持って過ごさねばなりません.教室ではその覚悟をお話する以外に本当は何も無いのかもしれません.後は食事だけでもない、思いだけでもない、運動だけでもない生活のし方を、太古の昔から連綿と自分に続く生活史を振り返って、自分の余裕を見極めること.その余裕の中で、自分の許容範囲を設定すること.全責任を引き受ける覚悟を持っていれば、何をどのようにしても自由です.

何をどのように学びたいのか、それを自分ではっきりさせることが一番大切です.そうすれば、様々な先生方の中から自分の師を選ぶことができます.師の生き方はお手本ではありますが、その解釈は自分の責任でするものです.良くても悪くてもありがたいものです.

久司先生の様に同じ時代を生きて直接教えて頂くことが出来る師もおられますが、無限宇宙に帰られた昔の方々の中にもたくさんの師を持っています.また自分に現れた先祖に思いをめぐらして、その方々の思いと自分の思いとを一緒に成長させることも必要だと感じています.私の周囲に集まってくださる生徒さんからなげかけられる問題も奥が深いだけに、どのようにお答えするべきか悩むことが多くなりました.

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人間性ーphysical,mental,spiritual

2006-12-26 10:40:04 | マクロビオティック
昨日娘2号から英語の単語について意見を聞かれました.人間を語るときその身体性については「physical」はよいのですが、「mental and spiritual」となるとその時々で目に見えない人間性を語る内容の問題になってきます.そのことについては私も昨年の「マクロビオティック健康診断法」の翻訳時から言葉選びに苦心しました.

結局のところ人間性というのは、桜沢先生が最初に定義なされた判断力のことで、その機械的判断力と感覚的判断力が身体性(physical)、それ以後の感情的判断力から最高判断力までが精神性(menntarl and spiritsual)ということになるのではないかと思います.その精神性に感情的、知性的、社会的、精神的、霊的判断力があって、その霊的判断力は更に無限と一体化するまで更に段階的判断力の度合いがあるとすれば一体その場その場で何と翻訳したものかと mental and spiritual という単語が出てくるたびに私は悩みました.

えいっと機械的に翻訳した時もあれば、散々考えた末にお決まりの言葉を選んだ時もあれば、省略した時もあります.日本語では心身と言えば済んでしまうのかとも思います.「心」はそれだけ身近でもあり悠遠でもあるような気がします.これはもう読む方にお任せするしかないのかもしれません.言葉の投げかけ合いというものは、発する時はその人のものであっても、後は受け手のもの、受け取る側の問題だと思います.

こうやってブログというインターネットの世界に発する文字も同じです.私の勝手な意見でも読んでくださる方の翻訳(判断力)によって役に立つと言っていただければ、発信機としては幸せなことだと思います.この世では発信機であり受信機でもある自分の立場を鍛えてお互いに助け合って生きていきたいと思います.皆様どうぞよろしくお願いします.

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マクロビオティック考、人間の食事

2006-12-06 10:16:06 | マクロビオティック
類人猿から人類への進化の原動力が種子食の内容の変化、つまり果実から堅果へ、堅果から穀類へとの移行だと教えて頂いてます.その間どこかで人類は火を生活に取り込みました.これが人類から人間へのモーターだと思います.つまり動物の種からのターニングポイントです.かつて陽性の天の力が地球というミネラルの塊にまで凝縮して、そこから生命を誕生させた陰性化へのターニングポイントを画期させたように、火という陽性の持っている陰性化の力が人間を誕生させたのだと思います.

先日から色々ありまして、前回の記事にもしましたとおり人類の動物性食についてあれこれ考えておりました.昨夜か今朝か(?)の夢で一応の解答を得たような気がします.多分主人と昨夜見た映画の影響もあると思います.「Struggle for life」と言うべきものでした.これにぴったりの日本語を見つけ出せないのであえて英語にしたのですが、自分の生との引き換えに他分(?)が死という現実を引き受け、逆であればそれが自分の一巻の終わりというわけです.動物界ではそれは当然餌食という事態なのですが、人間はなぜか人間同士食べもしないのに生死をかけてどちらかを争うわけです(そういう映画でした).

高等(或いは進化上後の)動物の間では共食いが何故起こらないかということも、解決しなくてはなりません.少なくとも群れの前段階で出来た行動のはずです.私は共食いが禁忌になるのは、多細胞化がある一定の段階に達した時だと思っています.明確に言葉にするにはまだ解決しなくてはならないことがたくさんあります.例えば、生殖に関係する時期に、蟷螂が何故オスを食べてしまうのか、哺乳類はなぜ胎盤を食べてしまうのか等々・・・・・いつかまた眠っている間に霧が晴れると期待しています???

ところで人間の食の問題ですが、何によって人類から人間へと移行するのか.それはStruggle を自他の関係から排除しようとする精神性の目覚めからだと思います.自他共に生きる道の模索、それで逃げようともがくものが人間の食事から外れていきました.究極的には精進料理の誕生です.人間は精神という地球から発生しても地球の物質に属さない生命の形を大きくして行きました.穀類の種子は、植物界という陰性の生命界の時間と時空の凝縮です.その陽性の形には、大きな陰性の力を秘めています.それをもって人間は精神性を高めてきたのだと思います.

今私達の食事には、人類食と人間食と二つあるように思います.人類食は人類が単細胞の昔から今日の人体を獲得して思索するようになるまでの食事形態、人間食は精神の目覚めを経験して更に精神の住処までその思索を高めようという食事形態です.人類食は捕まえられる程度の動物食を含み、人間食は穀菜食、そしてさらには真人食が単穀食、仙人食は野草食???.昨夜の夢はこのような内容でした.つまり人間とは、動物として自他共に生きる道を模索する人のことでした.
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マクロビオティックと食

2006-09-25 22:23:38 | マクロビオティック
マクロビオティックというと、穀物菜食という風に理解しておられる方もあるかもしれません.ですが穀物菜食はマクロビオティックの目的ではありません.マクロビオティックは人間のあるべき姿を求める方法です.そして地球上に住む人間の最も基本的な方法として穀物菜食があります.穀物菜食は、マクロビオティックを取り入れた人間が、最初に選ぶ一つの方法です.

そもそも食というものが一体何なのか、誰でも考えたことがおありでしょう.私どものマクロビオティック教室の大きなテーマにもなっており、食行動が一体どういう風にして発現したのか、どういう意味を持っているのか、生徒さんと考えながら講義を進めていきます.これは久司先生ではありませんが、宇宙の秘密の鍵の地上版です.

私達の食はシステムの取り入れです.私達は植物を食べることで、植物の作っているシステムを丸ごと食べていることになります.植物は地球からミネラルと水分を吸って太陽光と炭酸ガスとを捕食してエネルギーを自ら製造している生命システムです.地球はミネラルと水の生命前段階システムです.動物はエネルギー製造システムをもたないために植物を捕食しなければ生きていけない生命システムです.まあ何というべきか、植物の傍系とでもいうべきものです.植物にも動物にもそれぞれ動物を捕食している亜種もいます.それはさて置いて地球上の生命の殆んどは植物も動物も酸素を吸って炭酸ガスを吐く呼吸をしています.呼吸をしない生命は存在しません.この呼吸がエネルギーシステムの同一性の証です.私達は皆植物の作ったでんぷんをエネルギーの素として呼吸によって燃焼させて暮らしているのです.

それがわかってみれば、私達の食生活を一体どういう風に整えるべきか分かってきます.例えばマクロビオティックで、電熱器を避けてせめてガスにというのは、私達の取り入れるべき燃焼システムが酸素による燃焼だからです.熱による変性は、私達の知らないシステムです.これを続けていくならば、私達は古代の硫酸ガスの高熱の下で暮らした生命が、この大気圏の中に暮らすようになったほどの進化の洗礼を受けなくてはなりません.これは並大抵の困難ではないだろうと思われますし、自分の意志では出来ない相談です.なぜかといえば、私達はそんな体のシステムを持ってはいないのですから.電気の恩恵を受けずには暮らしていけない高度文明社会を作り上げましたが、人間の最も原始的な基盤の上に私達は暮らしていることを忘れないで、社会を築いていきたいものだと思います.
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宇宙の相似とマクロビオティック

2005-11-05 12:00:59 | マクロビオティック
人体は小宇宙だ!などとよく言われます。ですがそんな事はよく考えてみると当たり前で、宇宙と相似でない組織はないといえます。細胞の一つから宇宙までみな同じ力によって存在しています。地球上の生命の仕組みが似ていて当然なのです。雲の形が地形に似ていても当然なのです。蟻の社会と人間社会が同じ原理で動かされていて当然なのです。人間の作る組織が人体と似通った構造をしていて当たり前なのです。

私達は同じ宇宙の陰陽の力によって動いている自然の一部なのです。私達は宇宙に支配されています。いやだといってもその場その場の力に合った生き方以外に生きられません。ですから人間の形のままでは地球外では生きられません。私達は地球の形の一部です。それで地球上のものを食べたり食べられたりして変化しつづけています。人間が食べられるか?とお思いですか?人間は屍になったら微生物に食べられます。今は火葬ですが、イザナミノミコトが黄泉の国の神々と就いておられた供宴を思い出してください。或いは生きたまま一部をウイルスの培養基にすることもあるのです(!?)。

自然の一部の人間が作る組織もまた同じことです。国家組織も人体と同じです。頭があって胴体があって手足がある。そして名前があります。頭は行政府、胴体は産業社会、手足は移動組織であり辺鄙な地方組織です。名前は国名です。国民は細胞の一つ一つ。血球などのように動き回るものもいれば、骨組織のように動かないものもいる。顔はさしずめ象徴であられる天皇陛下です。こういう風に自然な形態の組織であったために日本の国柄は連綿と続いてきました。日本人がこんな自然な国を作ったことを私はとてもありがたく思います。国の運営はさながら人体のように頭も手足も動いていなければならないのだろうと思います。

私もまだまだわからないことだらけですが、マクロビオティックは宇宙の統一原理である陰陽の変化を勉強します。食べるという行為もその一部です。健康になるというのはその余慶です。平和も幸福もその余慶です。しかしその余慶のためには一人一人の実践の積み重ねしかありません。自分の為が他人の為の世界がマクロビオティックでは開けます。助け合って皆でマクロビオティックを学びましょう。教え合いましょう。久司先生が言われるように私達はみな兄弟姉妹なのです。同じ宇宙の小さな片割れです。

明日から私は孫の守と娘のお産介抱です。多分ブログの記事を書く余裕もないかと思います。お休みが長くても心配なさらないで下さい。私は幸せなババをやっていますから。また淋しくなったら書きましょう。
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進化について

2005-09-07 09:33:35 | マクロビオティック
マクロビオティックの勉強を始めると、実践上の二大原則、身土不二と一物全体ということを習いますよね.そして人体に至る進化も学びますよね.
単細胞から始まって長い進化の道のりの後、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類、そして霊長類と人類に至ります.この子供の頃学校で習った人類への道程も、時々視線を変えてみるといろんな事が考えられますよ.

例えば爬虫類と鳥類ですが、此処までは卵生ですよね.蛇の中でもマムシは卵胎生です.マムシに胎生への進化の糸口が一つ見つかりますね.爬虫類と鳥類の大きな違いは、二本足と四本足ですよね.爬虫類の中にも四本足と二本足がいますよね.あの恐竜時代を描いた絵を思い出してください.ティラノザウルスとブロントザウルスを思いだして下さい.

こうして見ると爬虫類の時代に二本足と四本足、胎生と卵生の分岐点があるような気がします.それから哺乳類になってからの有袋類と子宮を大きく出来るものの違いの萌芽もこの辺にあるような気がします.カンガルーなどは手が小さくて二本足(三本足?)だし、、、、、.有袋類の赤ん坊は皆小さいのですが、ジャイアントパンダの赤ん坊もあんなに小さいし、、、、、.

とにもかくにも魚類だって安穏に暮らしているのを捨てて好き好んで両生類になったんではないのです.陸上に打ち上げられてそれは苦しみもがいたのです.西原克成先生の「顔の科学」という本がお勧めですよ.人間に至るまでのいろいろな環境の変化と苦労に思いをめぐらすと、自分の細胞の記憶を知ることが出来るし、自分のありがたさが身にしみるというものです.そして何を食べようかということへの考え方にも大きな影響を与えますよ.自分の学説(仮説)を組み立ててみてください.
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