親しい友人の葬儀に出席した時、先輩が「あなたも御遺体にお別れしてきなさいよ」と言われ、その通りにしてしまった。
さて、問題はそれからである。彼を思い出すたびに、元気にテニスをしている顔でもなく、冗談を言って笑っている顔でもなく、棺に入って目を閉じている彼の死に顔が思い浮かんでしまうのだ。それは、決して心地良いものではない。
そう言えば昔、ある有名な学者の葬儀の時のアルバムを見せられたことがあった。その中に、様々な角度から撮った何枚もの遺体の写真があった。お弟子さんが撮影したそうだが、彼は一体何を考えて撮影したんだろうか。
夏目漱石も、やはり死を悼み師の存在を世に残して置きたいという弟子たちの強い願望によって、デスマスクが作られたそうである。
最近、携帯やスマホで、大して親しくもないのに、平気で遺体を撮影する人が増えているという。どういう神経なのだろうか。とにかく彼らは、死体を見ることも、写真に撮ることも、後でその写真を見ることも平気であるらしい。