一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1940   母想ふ吾が誕生日天の川   稱子

2018年05月16日 | 岩戸句会 第五句集「何」

 古稀をとうに過ぎた私だが、折に触れ母を思い出す。日常のさもない瞬間に母のしぐさ、面差しがよぎる。昔の女性がそうであったように、夫に仕え、子育てに追われて母は六十二歳で逝ってしまった。今少し、わがままに自由に生きて欲しかったと、今あらためて後悔と切なさを覚える。

 何時からか、自分の誕生日に母が好んだ桔梗の花を携えて、一人で墓参りに行くようになった。近況を話しに、感謝を伝えに・・・・・。私が母を想うように、はてさて二人の娘は・・・・・ほどほどに愉しく忙しく過ごしている今の私。感謝の他ないが、これもひとつの子孝行かもしれない。 

母と呼ぶ嗚呼己が声明け易し

年用意母真似ていて母遠し

風呂吹や指で紅ぬる母愛し

 

穏やかな日々あればよし福寿草

花辛夷夜半の明りとなりにけり

色の無く音なく寒の明けにけり

立春の立春にある寒さかな

遥か遥か富士より春の来る気配 

 

騎馬戦の孫は前足風光る

新樹光のトンネル自転車疾走す

悦びのひとつ桜の故郷に住む

旅にある一期一会や夏あざみ

すね長きサッカー少年夏の雲

 

うすものをするりと脱げば薄茶の香

日盛りの町一瞬の無音かな

地球びとへ警鐘のごと雷鳴す

黙祷を捧ぐ蝉の音激しかり

畦道は風の抜け道曼珠沙華

 

石仏に降る木洩れ日と蝉の声

切っ先のような月ある夕べかな

鐘響く上野界隈枯はちす

雲抱き己が影引く冬木立

雪しずり森の静寂破るかに

 

流れゆくものはあらずよ冬の川

狐火や話大きくふくらます

縄一本張りし結界石蕗の花

豆腐屋のとうふ寒九の水の底

風の音窓打つ雨も師走かな

(岩戸句会第五句集「何」より 石井稱子)

マムシグサ(蝮草)

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1939   岩戸句会第五句集「何」 はしがき 雲水

2018年05月16日 | 岩戸句会 第五句集「何」

   最近、イギリスの宇宙物理学者ホーキング博士が、人類に残された時間は、今までの千年か らあとせいぜい百年しかない、と訂正したという。つまり百年後に滅びる、と予測しているのだ。

  原因の第一は、戦争。人類にとって戦争が自然状態であり、平和は一時的な休戦でしかない。人類は進化の過程で、強欲で攻撃的な性質の遺伝子が組み込まれたようだ。今後、地上で争いが減る兆候はなく、軍事技術や大量破壊兵器の進展は争いを破滅的なものにするであろう。確かに、太平洋戦争からわずか七十三年しか経っていない。

第二は、人口の増加による食料不足や資源枯渇、そして疫病。マラリア、エイズ、エボラ出血熱、新型インフルエンザなども含め、全く新しい疫病の蔓延もあり得るであろう。

第三は、地球温暖化はもう後戻りできない転換点に近づいていて、気温二百五十度、硫酸雨が降り注ぐ金星のような高温の惑星へと地球を追いやるであろう。

第四は、人工知能(AI)の開発。完全なるAIが完成すれば、人類を終焉に追いやることを意味するであろう。AIが人間を滅ぼす、というのだ。

それらにより、現在の地球は徐々に警戒すべき状況になっている。小惑星の衝突なども含まれてはいるが、人類は、欲望のまま地球のあらゆる資源を使い尽くし、争いを続けて滅亡に至るというのだ。それらのどれかが、百年以内に人類を滅亡させる、と警告している。

 さて、そんな危機の迫る七十四億五千万人の宇宙船地球号に乗る私達は、残された短い人 生をどう生きるべきであろうか。この難問を、芭蕉や蕪村、一茶など江戸時代の俳諧師が聞いたなら、きっと腰を抜かして驚くに違いない。

いずれにしても私達は、今ここに生きていること、健康であること、家族や友人がいること、日本の自然に恵まれていること、平和であること、それら全てが奇跡であり実に有り難いことと自覚し、感謝の心を持って日々生活することではないだろうか。勿論、日本文学の最短詩である俳句を続けていることにも、である。

  そして、私達はこの世へ何をしに来たのか、人生とは何か、という個人的な命題。神は存在するか、死とは何か、あの世はあるのか、という哲学的命題。更に俳句とは何か、写生、写実とは何か、自然とは何か、などの様々な命題を考察するためにも、これからも俳句を作り続けるのであろう。

あやめ(菖蒲)とジャーマンアイリス

 

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