一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1417   焼き芋にバターなかりし浮世かな

2015年01月12日 | 

  落葉焚き+焼き芋は、風情があって実によろしい。但し、消防署員が跳んできて、厳重注意になりかねない。更に、均等に上手く焼くのが結構難しいし、時間もかかる。

 薪ストーブ+焼き芋は、実に簡単で上手く焼ける。アルミホイルは使った方がよろしい。私は、忘れて丸焦げにならないよう、必ずタイマーをセットしている。竹串がスーっと入れば焼けている。

 さて去年の暮れから、店舗からバターがなくなってしまった。買い物に夕方行くからだろうか、いつも棚のバターコーナーが空だ。焼き芋にバターがないのは、刺身に山葵がないのと同じだ。話にならない。

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1416   亡き父母の声も交じりてとろろ汁

2015年01月11日 | 

  山で自然に育った芋を、自然薯(じねんじょ)と言う。但し、最近は畑で栽培された「山芋」が多く出回っているが、擂鉢で当たった時の粘りけが全く違う。とても同じ芋とは思えない。自然薯は、栄養価が高いので昔から「山薬」と言われていたそうである。

 秋に山に入り、山芋のツルを見つけたら、根元に麦を蒔き、ツルを刈ってしまう。そして、冬になってから、芽吹いた麦を見つけて掘るのだという。自然薯は、秋の季語であるが、真冬に掘った方が太っていて美味い。

自然薯をすりおろし、少しずつ出汁を加えて、ゆるくすった「とろろ汁」を麦飯にかける「麦とろ」は、白米だと食べ過ぎるので、それを防ぐためだそうである。

いづれにしても、どんなにとろろを腹いっぱい食べても、私は胸焼けしたことがない。

 

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1415   七草の光まといて初打ちす

2015年01月09日 | 

 今年の本当の七草(七種)は、2月25日である。(旧暦の1月7日)しかし、NHKのニュースでも「今日は七草です」と言っていたそうである。

 今年も今朝「七草粥を食べに来い」という有り難い友人がいて、庭のセリ、ナズナ、ハコベラ、スズナ、スズシロの五種にコマツナを加えていただきました。これで、今年の冬は、健康に過ごせると信じてしまうから、全く都合の良い能天気な信心で、我ながら笑ってしまいます。

 そして、午後からテニスの初打ち。錦織君に負けないくらい絶好調だったのは、七草粥のお陰です。それでも、最後のゲームに負けたのは、ゴギョウ、ホトケノザを食べなかったから・・・・・でしょうか。

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1414   初山河犬と見てきて蜜柑むく

2015年01月08日 | 新年

 この句の季語は「初山河」ではなく、相模灘が一望なので「初山海」か、初島、大島、利島、新島が見えるので「初山島」とでもしたいところだが、勿論そういう訳にはいかない。いづれにしても、河は全く見えないのだ。

 ところで、テーブルに蜜柑があっても、客はちっとも食べてくれない。そんな時の食べてもらう殺し文句は「ビタミンⅭをどうぞ」。ほとんどの客、特に女性は必ず手を出します。又、「お茶をどうぞ」と言っても飲もうとしないお客への殺し文句は「これは、我が家の庭で摘んだヨモギ、ドクダミ、アシタバ、スギナ、ビワの葉をブレンドしたお茶です」必ず、目の色が変わります。

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1413   死に顔は見ないに限る冬の蝿

2015年01月07日 | 

 親しい友人の葬儀に出席した時、先輩が「あなたも御遺体にお別れしてきなさいよ」と言われ、その通りにしてしまった。

 さて、問題はそれからである。彼を思い出すたびに、元気にテニスをしている顔でもなく、冗談を言って笑っている顔でもなく、棺に入って目を閉じている彼の死に顔が思い浮かんでしまうのだ。それは、決して心地良いものではない。

 そう言えば昔、ある有名な学者の葬儀の時のアルバムを見せられたことがあった。その中に、様々な角度から撮った何枚もの遺体の写真があった。お弟子さんが撮影したそうだが、彼は一体何を考えて撮影したんだろうか。

  夏目漱石も、やはり死を悼み師の存在を世に残して置きたいという弟子たちの強い願望によって、デスマスクが作られたそうである。

  最近、携帯やスマホで、大して親しくもないのに、平気で遺体を撮影する人が増えているという。どういう神経なのだろうか。とにかく彼らは、死体を見ることも、写真に撮ることも、後でその写真を見ることも平気であるらしい。

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1412   元旦の揺るがぬ大地に雪少し

2015年01月06日 | 新年

  私達国民の関心事には、阿部政権のアベノミクスなど景気、消費税、法人税など税制、集団的自衛権、憲法改正など様々あるだろう。とはいっても、暮の衆議院選の投票率の低さを見ても、関心はそう高くはないかもしれない。

  ところが、そんなことより、元旦早々桜島に噴火の兆しがあり、地震も起こっている。知人によれば、2015年は関東が大地震襲われるという噂が、まことしやかに広がっているとか。そんなことは、3.11以降常に言われていることなのだが。

  つまり、関東大震災、東海地震、東南海地震など大地震に対する恐怖が最も強いのではないだろうか。地震による建物の倒壊、火災、津波などによる死への恐怖、財産の喪失などへの恐怖である。

 歴史的に言っても、大地震は必ず起こるのである。但し時間と場所が分からない。この不気味な静寂はいつ破られるのか。

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1411   去年今年薪は薪灰は灰

2015年01月04日 | 新年

(こぞことし たきぎはたきぎ はいははい)

道元禅師の言葉に、「前後際断」というのがある。生の次に死があるのではなく、生は生、死は死であり、そこに繋がりはない、ということ。薪が燃えて灰になるのではなく、薪は薪、灰は灰。

 去年は去年、今年は今年、去年と今年は繋がっていない。ということは、人間には、過去現在未来、昨日今日明日と繋がっているのではなく、現在、今日、唯今しかないのである。

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1410   初客は山雀十羽大旦

2015年01月02日 | 新年

(はつきゃくは やまがら10ぱ おおあした)

  さすが、ここ十数日の寒さで、食べるものが少ないのだろう。次第に餌台の山雀の数が増えている。四十雀・画眉鳥・相思鳥も。

 元旦に、1~2センチほどではあったが、珍しくうっすらと雪が積もった。元旦の雪は、私の記憶にはない。

 野鳥の餌付けには賛否両論あるが、とにかく一旦始めた限り止めるわけにはいかない。彼等は、窓ガラスにホバリングして餌を催促するからだ。この句では10羽にしておいたが、実際は20羽以上かもしれない。

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1409   初鳩の恐み恐み啄める

2015年01月01日 | 新年

(はつはとの かしこみかしこみ ついばめる)

新年 明けましておめでとうございます

今年も よろしくお願い申し上げます issyo 

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