★12日の「昭和歌謡・黄金時代」でフランク永井の映像を見て、色んなことを思い出した。なぜかうちの家族では、フランク永井が唄う曲の歌詞のことがよく話題になった。『公園の手品師』では、「老いたピエロ」が「追いかけろ」に聞こえるとか、『こいさんのラブコール』では「なんで泣きはる 泣いてはる」が「なんで泣き春 泣いて春」に聞こえるなど。この『こいさん・・』の歌詞のこの部分は大阪弁であって、これを同じ関西弁でも京都弁で言うと「なんで泣かはる 泣いたはる」となる。うちは京都だったので、大阪弁がすんなり耳に入らなかったようだ。
フランク永井はこの他にも大阪ものをいくつか唄っているが、奥さんが大阪出身だったからと聞いたことがある。私は『大阪ろまん』が好きだった。「泣かへんお人がしのび泣き」とか「好きやねん 好きやもん」といった歌詞だった。有名なのは「赤い夕映え 通天閣に」の『大阪ぐらし』だろう。
もともとジャズ歌手だったのが歌謡曲に転じただけあって、どことなく洗練されたフィーリングがあった。
彼を生で見たのは、昭和53年頃、勤め先の先輩に連れられて行ったナイトクラブにゲスト出演していたときだった。そのナイトクラブもずっと昔になくなってしまった。
★昨年12月、「平成歌謡塾」に竹川美子が出演したときのプレゼントに応募していたのが当選し、きょうサイン色紙とサイン入り蛍光ペン5色セットが届いた。この番組のプレゼント初応募で当選とはうれしい。
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