社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

3月10日(木)

2011年03月11日 00時11分24秒 | 2011年

  6時起床。今日もオフィスで事務処理。昼休みに友人から連絡が入り、Nさんが亡くなったことを知る。彼は、私が子ども(主に中学生)の頃にお世話になった方である。当時もう既に還暦を迎えていらっしゃったから、おそらく70代半ば辺りだろう。ここ数年間はほとんどお会いする機会がなかったが、病気などという話は一切聞いていなかったので、本当に驚かされた。正直言ってまだあまり実感が沸いてこないが、明日行われるお通夜に参列させて頂いて、直接お別れを言って来ようと思う。

  22時過ぎに帰宅。帰りが遅くなったのは、業務量が多かったというよりも、集中力が欠けていたからである。なぜかはよくわからないが、今日は事務作業の効率が悪かった。

  そういえば、今日ふとしたきっかけで先輩と恋愛の話になったのだが、その際彼女が「『これがお前のためなんだ』とかいう男は信用できない」と言っていたのがとても印象に残っている。実体験から学んだことらしい。曰く、「昔付き合った男がよくそういうことを言う人だったが、どうしようもないロクデナシだった」とのこと。元カレを「ロクデナシ」と吐き捨てる姿に、「もしかしたら自分も元カノからそう言われているかもしれない」と背筋が凍る思いだったが、それと同時にパターナリズムに対して嫌悪感を示す姿に安心感を覚えた。もちろん、同じ「お前のため」でも、内容によって意味づけは大きく変わってくる。「押し付けがましい」と「頼りがいがある」は紙一重だが、案外女性は、少なくとも一定数の女性は、その紙一重を的確に見分けているのだろう。一方で、私はそれ以降自分が過去に「お前のため」と言ったことがあるかどうかを考えているのだが、よく思い出せない。しかし、口に出したかどうかはわからなくても、心でそう思ったことは何度もある。そして、私自身、そんな自分を胡散臭いと感じる。