社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

3月11日(金)

2011年03月12日 09時48分15秒 | 2011年

  6時起床。今日の日記は、もはや地震発生時からのことを書けば事足りるだろう。その時、私はオフィスで上司と立って話をしていた。当初の揺れはそれほどでもなく、「あ、地震ですね~」ぐらいの感覚だったのだが、すぐに本格的な揺れとなり、立っていることも出来なくなる。棚から書類が落ち、机の引き出しは全て開き、ガラスケースは粉々になり、パソコンも横倒しになり、ついには私の背丈より高い棚が倒れてきた。関内は元々埋立地であることに加えて、オフィスが9階にあるので、ピーク時には本当に「死」という文字が頭をよぎったほどである。更に、屋上の給水タンクが破裂したせいで非常階段やエレベーターから水が溢れ、ビルの外へ避難するのにも随分苦労させられた。しかし、人的な被害が一切なかったので、本当に良かったと思う。また、ほどなくして家族の安全も確認することが出来た。


地震直後のオフィス。


エレベーターに水が流れ込んでいる。

  避難完了後、ほどなくして解散となるが、当然ながら電車は動いていない。とりあえず、先輩方と一緒に横浜駅まで歩く。横浜駅に近づくにつれて人の波が増え、駅構内は人でごった返していた。しかし、電車が動く気配は全くなかった(結果的に、今日のうちの運転再開はなかった)。


災害時には、トイレの確保が重要になる(@横浜駅前)。


場所によっては、地面に亀裂が入っている。

  駅前で待っていても仕方ないので、先輩方と一緒にちょっとお高い焼肉店に入る。17時前からビールを飲み(私はジンジャエール)、ワイワイと美味しいお肉に舌鼓を打つ。まるで、地震があったことなど忘れたかのように。しかし、20時過ぎになるとさすがに現実を直視せざるを得なくなったのだが、この頃には既にJRの終日運休がアナウンスされていたため、近隣のホテルは全て満室となっており、何とかマンガ喫茶の席を確保できたものの、狭い狭いオープン席(×個室)で一夜を過ごすこととなる。しかも、緊急地震速報が入るたびに屋外へ避難させられるので、結局一睡も出来なかった。

  JR以外の路線が運転を再開しているということで、5時前にマンガ喫茶を出る。みなとみらい線に乗って横浜まで出て、そこで先輩と別れた後、そのまま東横線で渋谷、地下鉄銀座線で溜池山王、南北線で川口元郷と移動し、そこからバスを2本乗り継いで7時過ぎに帰宅。室内はほぼ何事もなかったかのように片付けられており、私の机周りも本棚の本が落ちたぐらいだった。家族の無事も自分の目で確認し、友人たちの無事もmixiやツイッター、メール等で大方確認出来たので、これで一安心である。

  ちなみに、この日記を書いている今は12日の9時過ぎだが、一睡もしていないにも関わらず全く眠くない。まだ、神経が高ぶっているのだろうか。今回の地震では、東北地方を中心に数多くの死傷者が出た。亡くなった方々のご冥福、負傷された方々の1日も早い回復を祈るばかりである。とりあえず、11日の日記はここまでで終了する。