社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

3月23日(水)

2011年03月23日 23時24分25秒 | 2011年

  6時起床。午前中は事務処理。私はただただ報告書を作っていればいいので気楽なものだが、上司は予算と実際の執行額の調整に追われている。要するに、このままいくと執行額が予算額を超えてしまう可能性があるのだ。去年の秋まで、「本当に予算を使い切ることが出来るのだろうか」という不安を抱えていたのが嘘のようである。私たちのチームでは今年、国からの受託事業を担当し、県から私たちの組織全体に割り当てられた予算額に匹敵する金額を受け持った。単純にいえば、本来40人で活用する分のお金を4人で使ったのだ。私はこの1年間新人として伸び伸びと仕事をさせて頂いたが、上司や先輩方は本当に大変だっただろう。一般的な感覚からすると、「ただ予算を消化すれば良いというものではない」と思うだろうし、その感覚は至極真っ当なものであるが、良くも悪くも予算主義で成り立っているお役所仕事において、割り当てられた予算を(正当な方法で)きちんと消化するというのは非常に重要なことなのである。様々な紆余曲折がありながらも、最終的には予算通りに事業を執行するに至ったことは、私が言うのもおかしな話ではあるが、評価に値するものなのではないだろうか。

  午後からは、上司と平塚へ出張。最近はオフィス内にいることが圧倒的に多いので、やけに楽しく感じられた。外へ出ること自体も好きなのだが、何より上司や先輩を1人占めに出来るというのが良い。普段のオフィスでは、彼らは様々なところからお声が掛かるので、ゆっくり話を聞くことが出来るのはこういう出張の時に限られる。しかも、オフィスを離れているからこそ聞ける話というのも少なからず存在する。来年以降は1人で出張する機会が増えるだろうから、ことさら今日のような機会は貴重なものである。

  16時過ぎにオフィスへ戻り、18時半前まで事務処理に取り組んでから退社。帰宅は20時過ぎ。先週に引き続き、「池上彰の学べるニュース3時間スペシャル」を見てから、夕食と入浴を済ませる。ここ数週間は、入浴後に簡単なストレッチと筋トレを行っている。おかげで前者の効果は少しずつ感じられるようになってきた(体が柔らかくなってきた)が、後者の効果はあまり感じられない。お腹についた贅肉は、思った以上に強敵である。


3月22日(火)

2011年03月23日 00時03分18秒 | 2011年

  6時起床。京浜東北線は100%運行に戻っているということで、久しぶりに通常通りの電車に乗ったところ、それでも若干混雑が激しかった。私は埼玉から神奈川まで通勤しているので、通勤ラッシュの始まりかけぐらいのタイミングで電車に乗るのだが、電車の遅延を想定して早めの電車に乗るという人が一定数残っているのだろう。その気持ちはわからなくもない。

  今日からは、とにかく事業の報告起案の作成に没頭することになる。しかし、作業量こそそれなりに多いが、それが遅れたりミスが出たからといって外部(支援先やコンサルタントさん方)に迷惑を掛けることはないので、気分的にはかなり楽な作業である。要するに、国の最終監査に引っかからないように書類を整えればいいのだ。

  18時過ぎに退社し、19時半過ぎに地元へ戻ってくる。我が地元では今夜、計画停電が実施されていた。地域としては2度目の夜間停電だが、1度目の際には私は関内に泊まったので、今日が初体験である。当たり前なのだが、駅を出ると外は本当に真っ暗で、人とすれ違うだけで気を遣うし、道路を渡る時などはかなりの注意が必要となる。ただ、普段はまず体験できないことなので、不謹慎かもしれないが少しワクワクした。また、一部の店舗(ラーメン屋や居酒屋)が店内にローソクを灯して営業していたのが印象的だった。ローソクの灯りの下でラーメンを食べるなどという経験も、通常ではまず出来ないだろう。ただ、店舗側としては苦肉の策であるわけで、この停電が飲食店にとっていかに大きな打撃であるかということを、この光景は如実に示しているのだ。


本当に真っ暗だ。


大きな交差点では、警察官が手信号で交通整理をしている。

  帰宅したからといって何が出来るわけでもなく、懐中電灯を駆使して着替えをし、ローソクの灯りの下で夕食(焼きそば)を食べる。仏壇用に買い込んであったローソクが、ここぞとばかりに大活躍だ。しかし、電気がないというのは本当に大変なことである。健康や恋人と同様に、電気もまた失って初めてその大切さに気付くものだった。


ローソクの灯りの下で、父が仕事をしている。


夕食の焼きそばに後光が差している(嘘)

  不便さの一方で、思わぬ収穫もあった。ローソクを挟んで1時間ほど父とゆっくり話をし、幼少時の話や母との馴れ初めなど、今まで聞いた事のなかった話をたくさん聞くことが出来たのだ。私にとっては父はずっと父だし、母はずっと母だが、当然ながら2人はそれ以外の役割も持っているわけで、そういう一面、特に私が生まれる前の話を聞くというのは非常に新鮮な体験だった。停電が思わぬプレゼントを持ってきてくれたのだ。

  21時に電気が復旧。入浴を済ませ、いつでも寝られる用意をしてこの日記を書いている。先にも述べたように、一般家庭はともかく、企業や店舗にとって、この停電は死活問題である。実際今日も、停電の影響で客足が一気に遠のき、運転資金の確保が難しくなりそうだという飲食店の経営者から相談の電話があった。そういった影響は飲食店や小売業に留まらず、産業界全体が大きなダメージを受けることは必至である。特に、経営基盤の弱い中小企業にとっては、それが十分致命傷となりうる。そして、現時点ではこれといった対策も見当たらない。一体、どうしたものだろうか。