今朝 遅めの出勤 だったバッキーが
寝室から出てきた私に
”今日は 気温が高くなるというんで
冷房を入れておいたから
ドアはちゃんと閉めるように、、
それから 今日やることを書いといたから
それを 済ませるように、、、”
と やわらかい声 で言う。
家事を言いつけられた!
と思った私は 不満げな顔に なったんだろう。
”鳥と犬に餌をあげる事と
掃除機をかける事 そのぐらいだ。
それを済ませたら 好きな事をして
休日をエンジョイしなさい。”
と
珍しく やさしい声で バッキーが付け加えた。
それにしても こんな家事にもならないような事を
言われている私、、、
10歳の子供じゃあるまいし、、、、恥
祖母の霊が
”Thank you for loving her”
と バッキーに言っていると 霊媒者マライヤさんが
伝えてくれた。
会う事のなかった バッキーと祖母が 触れ合ったようで
嬉しかった一瞬 だ。
あの日 あの部屋の中の空気は やわらかくて
バッキーも 穏やかな顔で マライヤさんの話を聞いていた。
”この子は ちょっとした言葉にも 傷つきやすいから
使う 言葉には 気をつけて
やさしい言葉をかけてあげて、、、”
バッキーに 感謝する言葉を かけるや
彼に そう注意をする 祖母の言葉に
2人で顔を見合わせ笑った。
バッキーの言葉使いが
きつい!
というのも 当たっていたし、、、笑
でも私が 家事もろくにしない事など 無視し
100% 私側で 見てくれているおばあちゃん、、、だ。
おかしな事に
私の味方(笑)は おばあちゃんだけでなかった。
祖母の霊の勢いに押され (笑)
静かにしていたバッキーのお父さんも
おしゃべりを始めるや
私の事を セイント と呼び
”She deserves diamond ”(イジーはダイヤモンドに値する)
と 付け加えた。
その上
”イジーのいう事を聞いて
数年以内に 彼女が行きたいという
ヨーロッパ旅行に行きなさい。”
って、、、、。
お義父さん 大好きよ~~~ (笑)
義母や 義理妹を通して
義父の霊とは 対面済み のマライヤさんは
彼の事を 愉快な人だ! と 表現するが
この日も
”一体 オマエの頭はどうしたんだ
その上 このお腹も、、、、”
と バッキーのはげ頭をさすったり
肥満の腹部を叩いたりして
からかいながら 話を始めたようだ。
その義父が バッキーに謝罪を始めるや
デスクに置かれていた ティッシュを取りだし
バッキーが 涙を拭きはじめた。
内容は こんな事だった。
”俺が オマエにした事でなく
父として オマエに しなかった事を謝る。” と、、、。
7人兄弟の長男だった バッキー
町の肉工場で 働いていた義父は
途中 休職にもなり 家は貧しく
責任感があるがゆえに 心配事も多く
神経も 常に 張り詰めていたようだ。
そして感情を出すこともなかった 義父は
子供との 心の交流 をとるのが
下手だったようだ。
子供の頃 私には想像も出来ないほどの
怖い思いをした バッキー少年だという。
私にもある子供時代の恐怖話をすると
”それだけか?” と、、、バッキー。
”貴方には これより怖い思い出があるの? 話してや ” と聞くと
”うん いつか オマエにも話してあげるけど
今は まだ 出来んな~”
と 昔を振り返るように
しんみりと 言った日があった。
そういえば
兄弟がそれぞれの寝室にいる夜
一人が 父親の帰宅に 感ずくや
寝室の壁を トントンと
モールス信号 でも送るように 叩き
部屋から 部屋へと 知らせあっていたという話があった。
60年代のアメリカの親子には
こんな親子関係は多かったんだろうな、、、。
(メッセージ ありがとうございました)
先日の ”得体の知れない単語” の記事で
マライヤさんがおっしゃった ”き ゆん 又は き ゆう”
は 『杞憂』きゆう ではないかと 教えて下さった読者のかた
本当に ありがとうございました。
英語も 日本語も 知識が少ない自分は
皆さんからのこうしたヘルプ 嬉しく感じています。
今日も訪問ありがとう
良かったら 応援クリック よろしく
寝室から出てきた私に
”今日は 気温が高くなるというんで
冷房を入れておいたから
ドアはちゃんと閉めるように、、
それから 今日やることを書いといたから
それを 済ませるように、、、”
と やわらかい声 で言う。
家事を言いつけられた!
と思った私は 不満げな顔に なったんだろう。
”鳥と犬に餌をあげる事と
掃除機をかける事 そのぐらいだ。
それを済ませたら 好きな事をして
休日をエンジョイしなさい。”
と
珍しく やさしい声で バッキーが付け加えた。
それにしても こんな家事にもならないような事を
言われている私、、、
10歳の子供じゃあるまいし、、、、恥
祖母の霊が
”Thank you for loving her”
と バッキーに言っていると 霊媒者マライヤさんが
伝えてくれた。
会う事のなかった バッキーと祖母が 触れ合ったようで
嬉しかった一瞬 だ。
あの日 あの部屋の中の空気は やわらかくて
バッキーも 穏やかな顔で マライヤさんの話を聞いていた。
”この子は ちょっとした言葉にも 傷つきやすいから
使う 言葉には 気をつけて
やさしい言葉をかけてあげて、、、”
バッキーに 感謝する言葉を かけるや
彼に そう注意をする 祖母の言葉に
2人で顔を見合わせ笑った。
バッキーの言葉使いが
きつい!
というのも 当たっていたし、、、笑
でも私が 家事もろくにしない事など 無視し
100% 私側で 見てくれているおばあちゃん、、、だ。
おかしな事に
私の味方(笑)は おばあちゃんだけでなかった。
祖母の霊の勢いに押され (笑)
静かにしていたバッキーのお父さんも
おしゃべりを始めるや
私の事を セイント と呼び
”She deserves diamond ”(イジーはダイヤモンドに値する)
と 付け加えた。
その上
”イジーのいう事を聞いて
数年以内に 彼女が行きたいという
ヨーロッパ旅行に行きなさい。”
って、、、、。
お義父さん 大好きよ~~~ (笑)
義母や 義理妹を通して
義父の霊とは 対面済み のマライヤさんは
彼の事を 愉快な人だ! と 表現するが
この日も
”一体 オマエの頭はどうしたんだ
その上 このお腹も、、、、”
と バッキーのはげ頭をさすったり
肥満の腹部を叩いたりして
からかいながら 話を始めたようだ。
その義父が バッキーに謝罪を始めるや
デスクに置かれていた ティッシュを取りだし
バッキーが 涙を拭きはじめた。
内容は こんな事だった。
”俺が オマエにした事でなく
父として オマエに しなかった事を謝る。” と、、、。
7人兄弟の長男だった バッキー
町の肉工場で 働いていた義父は
途中 休職にもなり 家は貧しく
責任感があるがゆえに 心配事も多く
神経も 常に 張り詰めていたようだ。
そして感情を出すこともなかった 義父は
子供との 心の交流 をとるのが
下手だったようだ。
子供の頃 私には想像も出来ないほどの
怖い思いをした バッキー少年だという。
私にもある子供時代の恐怖話をすると
”それだけか?” と、、、バッキー。
”貴方には これより怖い思い出があるの? 話してや ” と聞くと
”うん いつか オマエにも話してあげるけど
今は まだ 出来んな~”
と 昔を振り返るように
しんみりと 言った日があった。
そういえば
兄弟がそれぞれの寝室にいる夜
一人が 父親の帰宅に 感ずくや
寝室の壁を トントンと
モールス信号 でも送るように 叩き
部屋から 部屋へと 知らせあっていたという話があった。
60年代のアメリカの親子には
こんな親子関係は多かったんだろうな、、、。
(メッセージ ありがとうございました)
先日の ”得体の知れない単語” の記事で
マライヤさんがおっしゃった ”き ゆん 又は き ゆう”
は 『杞憂』きゆう ではないかと 教えて下さった読者のかた
本当に ありがとうございました。
英語も 日本語も 知識が少ない自分は
皆さんからのこうしたヘルプ 嬉しく感じています。
今日も訪問ありがとう
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