整理をしていた数々の写真の中には
新聞の切り抜きもあった。
これは
9月の第一月曜日のレイバーデー(労働者の日)に
街で催されたパレードに参加した時の物、、だ。
1992年とあるから今から26年前、、、、。
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白人のバッキー、アジア人の私、
一緒に参加した知人の子供たちが黒人であった事から
カメラマンの目を惹いたのだろうか
大きなカメラを持った足の悪い高齢の男性が
私たちに話しかけて来たその日がうっすらと思い出される。
この時バッキーが働いていた会社は
ユニオン(労働組合)に入っていた事もあり
このパレードに参加したような気もするけれど
着ているTシャツにプリントされた文字とは
反対の意見を持っていたバッキーでもあった。
”ユニオンは金ばかりとって(給与から差し引かれる組合費)
俺たちの為に何もしない。” と
これが口癖だった。
アイオワ北部のこの町でも
今は多くの黒人を見るけれど
8-90年代はほとんどが白人だったこともあり
私が黒人の子供たちに触れ合ったのは
彼らが初めてだった。
娘たちと似た年齢であったこともあり
家族でお互いの家を行き来する事もあったけれど
バッキーの転職でこの町を引っ越してからは
連絡を取り合う事もなく過ぎた。
お姉さんをラタちゃん
弟をジェリー君としよう。
ラタちゃんとジェリー君の母親は白人男性と暮らしていて
その人との間に女の子、、アリちゃんが生まれていた。
ミックスの乳児には頭のいい子が多いけれど
アリちゃんもその中の一人だった。
アリちゃんの両親は別れ
母親は乳児だったアリちゃんを置き
ジェリー君とラタちゃんを連れ
テキサスに帰ったという噂もあった、、。
そんな昔が思い出されてくると
彼らが今どうしているかが気になって来て
新聞の切り抜きに載っていた
ラタちゃんとジェリー君のフルネームで探してみたら
立派な青年になったジェリー君のフェイスブックのページが出て来た。
シャイな子だったのに
筋肉モリモリのマッチョマンになったジェリー君の姿に
思わず微笑んだ。
懐かしがどんどん増していき
彼のページを元に家族を探し始めたら
ラタちゃんやアリちゃん、、
そして
アリちゃんの父親である白人男性 ビルさんまでを
探し当てる事が出来た。
他州に住むジェリー君が
今も ビルさんを Dad と呼び
フェイスブックで交流を持っている事がとても嬉しかった。
ビルさんとミックスの娘さんアリちゃんは
アイオワのこの町に住んでいるようなので
何時か再会できる日が来るかも知れない。
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