忙しい水曜日も何とか終了
仕事の途中に中国人医師の診察を受けに行った寿司太郎は
約束通り2時間後ピッタリに職場に戻って来た。
”25分間自転車をこいだから汗でビッショリだ。” と
言う意味の単語をジェスチャーと一緒に
途切れ途切れに並べ寿司太郎が話す。
中国人は家族、親戚、友人を助け合う人達と思っていた私は
仕事が休みとはいえ
中華マネージャー(中国人)が 寿司太郎(中国人)を
医院まで車で送迎しなかった事にちょっと驚いた。
診察の結果
たいして悪くない。
高血圧の処方箋薬をとり始めた。
、、、と言う事だった。
40代だった頃から ”いつか来る死”を考えるようになったのは
義父が癌を患った事が大きかった。
どう死にたいか は
どう生きるか になり
死を考えるのは今ある生を考える事で
”今” この瞬間にいる自分を意識する事にも繋がった。
自分のいる世界は
自分の心が創りあげている物と捉えるようになった事も
自分の内を意識する事に繋がった。
霊媒師のマライヤさんから
あの世にいる祖母や父の事を聞いてからは
あの世とこの世が非常に近いものだと信じる気持ちが深まった。
でも
見る事も聞く事も触れる事も出来ないあの世は
それらを求めたら
この世の者からは遠い世界ではある。
私たち夫婦が自然に死を迎えるとすると
10年ぐらい、私の方が長生きしそうで
一人の生活を想像する事が最近多くなった。
年齢的にも一人で出来ない事は今より多くはなるだろうけれど
何とかなるようその解決策は自分で見つける と
そんな 心配は殆どない。
怖いのは孤独感に苦しみを感じる事だろうか
”俺が死んだら
誰もお前に会いに来る者はいないだろうな。” と
バッキーが余計な事を言う。
”そんな事分かってるわよ。
家族には何の期待もしていないわ。”
と 私は強がって応えた。
多分 そんな暮らしの中で人々は
自然との繋がりを強く持つようになるんだろう。
人より大きな存在に対する感謝も深まるんだろう。
そんな中で死を迎えられたら
それこそ成仏や。
写真の犬 ガスは今月末に10か月になる。