日々の覚書

MFCオーナーのブログ

サブローって、やっぱり三男坊?

2007年10月11日 22時02分37秒 | スポーツ

注目のパ・リーグのクライマックス・シリーズ(以下CS)第一ステージは、2勝1敗でロッテがソフトバンクを下し、第二ステージへ駒を進めた。第一戦を見た限りでは、ロッテに勢いを感じたので、2試合で決着がつくと思ったけど、そうもいかなかったようだ。しかし、気の毒なのはソフトバンクで、現行のプレーオフが導入されてから4年連続で敗退している。しかも、最初の2回はシーズン一位だったのに...毎年プレーオフを戦っているだけでも凄い事だと思うけどね、ま、ルールがルールだから仕方がない。来年も頑張って、盛り上げて貰いたいものだ。

で、そのロッテだが、CSのMVPはサブローが獲得した。第一戦の同点タイムリー、第三戦の先制タイムリーと、4番の名に恥じない働きだったので、当然でしょう。第三戦で完封した成瀬でもよかったような気はするけど(笑) ま、しかし、サブローがここまでの選手になったかと思うと、感慨深いものがある。いや別に、サブローのファンだとか、ずっと応援していたとか、そういうのはない(爆) ただ、彼が入団した時の事を覚えているというだけである(笑)

忘れもしない(爆)、サブローはPL学園出身で、1994年オフのドラフトでロッテに一位指名されて入団した。本名は大村三郎というそうだが、登録名をサブローにして欲しい、と自分から申し入れたという。もちろん、この年、前人未踏のシーズン210安打を放って大ブレイクしたイチローにあやかっての事だろう。こういう、ちょっとした事でも目立とうとする精神は、プロ野球選手には必要不可欠だ。入団発表の記者会見でも、翌年からボビー・バレンタインがチームの指揮を執る事が決まっていたという事もあってか、英語で挨拶をしていた。なかなか見上げた根性である。そこから、僕はなんとなくサブローに注目するようになった。

サブローが入団した1995年のロッテは、非常に注目を集めるチームだった。確か、オーナーじきじきの要請で、広岡達朗がGMとなり(日本初ではなかったか)、監督はアメリカ人のボビー・バレンタインだし、そのバレンタインがそのルックスとスマイルで、たちまち人気者になった。シーズン順位もオリックスに次ぐ2位。久々のAクラスだったはずだ。バレンタインが自ら連れてきたという4番のフランコや、一番に抜擢された諸積が活躍したという印象がある。エースは小宮山だったかな。ヒルマンというサウスポーもいた。素人目に見ても打ちづらそうで、確か2年続けて15勝くらいはしたはず。余談だが、このヒルマン、ロッテに2年在籍した後、巨人へ移籍して、あんなヤツとても打てないよ、と中日ファンの僕は嘆息したものだが、シーズンが始まってみると、ヒルマンは肩だか肘だかが痛い、とか言ってほとんど登板せず、全く戦力にならなかったので、ホッとしたものだ(爆)

話が逸れたけど、1995年のロッテは最初はともかく、バレンタイン監督が抜擢した若手の活躍もあり、次第に順位を上げて、最終的に2位だった訳で、当時パ・リーグが2シーズン制だったら、後期優勝していたのではなかろうか。特に印象深いのが、マジック1としたオリックスを千葉マリンに迎えて3タテをかまし、千葉マリンで胴上げをさせなかったこと。この3試合、丁度土日に重なった事もあり、僕はテレビで見てたのだが、実に緊迫感溢れる好ゲームだった。

この年ルーキーだったサブローも、一軍に昇格してちょいちょい試合に出てたと思う。同様にルーキーだった黒木も一軍に定着しており、後にロッテのエースと呼ばれる投手になったのは、皆さんご存知の通り。1995年のシーズンが終わった頃、来年のロッテは期待出来るぞ、なんて思ったものだ。

が、しかし、好成績だったのに、この年のオフ、バレンタインは解雇された。GMの広岡と合わなかったらしい。この件は、あちこちで非難囂々で、広岡自身もテレビに出演して釈明したりしてた。その言によると、バレンタインはアメリカ方式でチームを運営しようとしており、若手が多いロッテでは、そのやり方はダメだ、もっと練習させろ、と広岡は口を酸っぱくして言ったらしいが、バレンタインは聞き入れようとしなかったらしい。業を煮やした広岡は、子飼いの江尻コーチに全権を与え、毎試合後にミーティングを行うようにしたらしいが、その席でもバレンタインはガムを噛みながら大声で関係ない事を喋っていたらしい。そのうち、バレンタインは試合前の練習にさえ顔を出さなくなり、江尻に任せたというか、勝手にすれば、みたいな態度だったとか。前述した、オリックスに3タテをくらわせた時も、バレンタインは座ってるだけで何もせず、投手交代や代打の選択もサインを出すのも、全て江尻がやっていた、とか。本当かどうか知らない。バレンタインも、解雇されてからも何も弁明しようとせず、あっさりと帰国してしまったし。

そんな訳で、バレンタインが去った翌年(1996年)のシーズンは、ロッテはまたしてもBクラスだったような気がする。そして、サブローも、こちらが期待したほど活躍せず、一軍と二軍を行ったり来たり。初ヒットも初打点もルーキーの年に記録してるのに、初本塁打が2000年というのもねぇ...ようやくレギュラーと呼べるようになったのは、記録を見ると2002年頃のようなので、なんと8年もかかっている事になる(でも、この年以外は打数が少ないんだよね~)。そして、ロッテが再びバレンタイン監督のもと日本一になった時、サブローは4番として大活躍、日本シリーズで優秀選手となった。ほんと、遅咲きである。

振り返ってみると、ロッテはかつて川崎球場を本拠地としており、そのせいでもないだろうが、僕にとっては気になるチームだった。印象的な選手が多かったのだ。大エース村田兆治はもちろん、有藤、落合、仁科、水谷、荘司、高沢、西村、横田、古川、岡部、園川、初芝、河本、等々。古い選手ばっかだねえ(爆) 陸上の飯島とか、東大の小林至とかいった、話題作りとしか思えない選手を入団させていたのも、なんか可笑しい。そういえば、ポッと出てきて規定打席ジャストで首位打者をかっさらっていった平井なんてのもいた。決して強くはなかったが、意外な時に強いチームでもあった。1988年近鉄に涙を呑ませた「10.19」なんてのもあったっけ。

ま、そんな訳で、どうなるかと思われたサブローも頑張ってるし、ロッテには是非日本シリーズに出てもらいたいもの。もちろん、日ハムにも頑張って貰って、CS第二ステージは、白熱の試合に期待である。どちらが出てきても、中日との日本シリーズは、素晴らしいものになるであろう(と、勝手に決めつけているが、中日は日本シリーズからきしだからなぁ...あれ、それより、CSに勝てよって。その通りです。すいません...爆)

ちゅう訳で、CSそして日本シリーズが楽しみだ。

しかし、未だについ ロッテオリオンズ、と言ってしまう僕って一体...

コメント (10)
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