20世紀の終わり頃、テレビドラマなとで曲が使われたのをきっかけとして、カーペンターズを皮切りに、アバ、ビージーズといった洋楽の大御所が再び人気を集める、という現象が起きた事は記憶に新しい。特にカーペンターズ人気は凄かったなぁ。新編集のベスト盤が100万枚以上も売れたらしいし。この頃、この次にブレイクする洋楽スターは、絶対ベイ・シティ・ローラーズ(以下BCR)に違いない、と僕はにらんでいたが、残念ながら大きくはずれてしまった(笑) 「バイ・バイ・ベイビー」なんてドラマ主題歌にピッタリと思ったけどね。
僕がBCRを知ったのは、1976年の初め頃である。クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」、スイートの「フォックス・オン・ザ・ラン」あたりから、洋楽(=ロック)にのめり込み始めていた頃で、BCRもすぐに気に入った。なんたって「サタディ・ナイト」である。これを読んでる皆さんと同じように(笑)、♪S・A・T・U・R・D・A・Y、と呟きながら“Saturday”と綴ったものだ。今でもそうだったりして(爆) もちろん、他にもキャッチーなヒット曲がたくさんあった。「ロックンロール・ラブレター」なんて思い出深い。あの頃のBCR人気は凄まじく、FM・AM問わずラジオをつければBCR、って感じだったけど、この「ロックンロール・ラブレター」は特に流行ってて、夏頃、某AMの洋楽カウントダウン番組で、クイーンの「マイ・ベスト・フレンド」と激しく一位争いしてたのを覚えている。残念ながら、「マイ・ベスト・フレンド」は万年二位で終わってしまったけど(笑)
話は変わるが、実は今年の夏、一人の友人が亡くなった。中学の同級生で、違う学校に進学しても就職しても、ずっと付き合いは続いていた。友人の少ない僕には珍しく、付き合いの長い友人であったのだ。ただ、ちょっとしたいさかいもあり、僕が大阪に行っていた事もあって、彼とはここ10年以上会っていなかった。そこへ訃報が飛び込んできたという訳だ。
お通夜の席で遺族の人に聞いた話だと、ここ数年の彼は、アルコールで身体を壊し、入退院の繰り返しだったらしい。誰か歯止めをかけられる人がいれば、という思いにもとらわれた。もちろん、自分が知っていれば力になれたばずだ、なんて言うつもりは毛頭ない。家族でさえ止められなかったものを、単なる悪友である自分に制御できるはずがない。ただ、つまらぬ意地から10年以上も音信不通状態にしてしまったのは、少々悔やまれた。自分の結婚を報告する事も嫁さんを紹介する事も出来なかった。悔いが残る。
その彼は、当時の中学生としてはお小遣いをたくさん貰っていたのか、よくLPを買っていた。僕より一足早く洋楽を聴き始めていて、話題のアルバムや名盤も結構持っていた。何人かでよく彼の家に集まっては、色々と聴かせて貰ったものだ。『オペラ座の夜』も『サージェント・ペパーズ』も『プレゼンス』も、パープルの『ライブ・イン・ジャパン』もフォリナーの1stも、彼の家で初めて聴いたのではなかろうか。そして、BCRを最初に聴かせてくれたのも彼だった。
僕もBCRは気に入ったけど、しばらくすると避けるようになった。口パクのライブ映像を見て幻滅したからだ(爆) でも、いい曲はたくさんあったし、大っぴらには言わないけど、実は結構好き、って感じだった。カーペンターズに対するスタンスと似てたりして(笑) ま、それはともかく、BCRはとにかく名曲が多い。初期から大ブレイクした70年代半ば頃までの曲は、オールディーズっぽい雰囲気で明るくキャッチーで、ちょっと哀愁が漂っていたりして、これぞポップスの王道ってな感じ。もちろん、どの曲も甲乙つけ難く、一曲選ぶなんて出来ないんだけど、そんな中で敢えて一曲と言うならこれかな。あまり有名でないと思うけど、ちょっとセンチな雰囲気がたまらない名曲である。
実は、亡くなった友人のイチオシも、当時からこの曲だった。こういう風に、聴くたびに亡くなった人を思い出す、という曲が今後増えていくのだろうな。悲しいけどね...