日々の覚書

MFCオーナーのブログ

A New Life Is Born

2020年05月23日 21時48分26秒 | 時事・社会ネタ

去る5月14日に、北海道・関東1都3県・関西2府1県を除く、39県で緊急事態宣言が解除となり、一週間後、関西2府1県でも解除された。外出自粛要請が出され、学校も休校となり、ステイホームが流行語となるくらい、外出せずに感染拡大を防ごうという、国を挙げての対策が功を奏したのか、このところ感染者減ってきたし、となると停滞していた経済を立て直さなければ、という事での解除と思う。ま、とはいえ、しばらくは油断せずにステイホーム、というのは続くのだろう。なんとなく、慣れてしまった感もあるし(笑)

この緊急事態宣言に伴う生活の変化だが、近頃“新しい生活様式”なんて言い出して、まるで定着させようとしてるかのように(笑)、あちこちでプッシュしてるようだが、ま、手洗いうがい励行はいいけど、マスクはちょっとねぇ。冬ならともかく、これから暑くなってくると、マスクはキツいよ。それと、飲食は料理に集中して黙って手早く、ってのもどうなんだろ。こりゃ完全に“飲み会”はアウトだ。出たくない忘年会や新年会等の会社の行事がなくなるのはいいけど(笑) 僕は、飲みに行く時は妻か友人と一緒で、一人というのは、ほとんどないが(出張に行った時たまにあるかな)、飲み屋でマスターや他の客と会話しながら飲むのが好きな人も多いし、そういう人にはツラいよな。店には行くけど、ひたすら一人で酒を楽しむ、という人ならいいけど。

今後、“3密”を徹底的に避ける生活が定着すると、打撃を受けるのは、大衆演芸ではなかろうか。芝居でも落語でも演奏でも、客を前にして反応を確かめながら芸を披露するスタイルだけに、無観客は厳しいなぁ。スポーツの場合、やや乱暴だが客はいなくても試合は出来る。そりゃ、落語だって無観客でも出来るだろうけど、なんか違うんですよ。こないだR-1の決勝だったかな、自粛要請を受けて、無観客でネタを披露してたけど、あれ、やりにくかっただろうな。さらに今度、無観客はもちろん、演者も司会も全てリモートという演芸番組まで放送されるらしい。一体どうなるのだ? 大衆演芸の衰退に繋がっていくのではないのか? それとも、新しいスタイルになれば新しいスタイルに適応した芸人が出てくるから、全く問題ないのか? 時代は変わっていくものさ、という結論で、本当に問題ないのか?(笑)

時代は変わる、といえば、やや古い話なのだが、去年の大晦日のNHK紅白歌合戦に、AI美空ひばりなるものが登場した。皆さんご存知、近頃注目というか、一部ではすっかり定着したAIに美空ひばりのデータをインプットして、言うならば、美空ひばりのそっくりさんを作って、新曲を歌わせてしまった訳だ。これを見て、あの山下達郎は自分のラジオ番組で「あれはただの冒涜です」と発言したらしい。

美空ひばりだけてなく、手塚治虫AIというのもあって、今年、その手塚治虫AIによる“新作”が発表された。こういう、人工知能に亡くなった有名人のデータをインプットして、そっくりさんを作ってしまう、という手法は、これから当たり前になっていくのだろうか。AI黒沢明とかAI志村けんとかAI忌野清志郎とかAI川端康成とか、何でもアリだな^^;

僕は正直言うと、このような風潮は好きではない。紅白のAI美空ひばりもみてたけど、確かに、凄いなとは思ったけど、こんな事やってて楽しいのかな、というのが正直な感想だ。冒涜とまでは言わないけど、山下達郎の気持ちは分かる気がする。手塚治虫AIだって、前編はまぁ面白かったけど、後編はひどいもんで、これがAIの限界か、と思ったりした。AIオリジナルなキャラクターならともかく、過去の偉人のコピーで喜んでいるのなら、所詮AIだよな、なんて思ってしまう。

ただ、この件については、某漫画誌に掲載されていた、とあるライターのコラムが非常に気になった。彼は、山下達郎の発言を取り上げて、どちらが正しいと言うつもりはないと言いつつ、達郎のようにAIに否定的な意見が出る事を、テクノロジーの発達に対するアレルギーみたいなもの、と断じていて、新しいテクノロジーに対しては、誰もが最初は嫌悪感を示すけれど、時が過ぎれば容認される、ワープロだってYMOだって、最初はそうだった、AIだって同じ、敵対視しなくてもいいんじゃないの、という論調でまとまっていた。それを読んで、あぁこの人は分かってない、と思ったのである。

僕は、山下達郎の発言を直接聞いていないので、発言の真意は推測でしかないのだが、彼はAIという技術で、不世出の天才を無責任に再現してしまう事を批判したのではなかろうか。新しいテクノロジーに対する嫌悪感などではない。AI美空ひばりには、才能に恵まれ、人一倍努力して、名声を勝ち得た人に対する敬意というものが根本的に欠けている事を批判したのだろう。生まれ持った才能というのは、誰にでも与えられているものではなく、いわば神に選ばれた人が授かるものなのであって、それは正に畏敬の存在なのである。そういう、才能にあふれた生身の人間が作り出した芸術を、簡単にコピーしようとする、またそれを恥じるのではなく胸を張っている、その姿勢が達郎は気に入らないのだろう、と思う。そして、このコラムを書いたライター氏は、全くそれが分かってない。言うならば、神に選ばれた人をバカにしているのだ。たまたま、この人がやっただけで、要領が分かれば誰にでも出来る、だからAIで再現するのを、テクノロジーの進化は素晴らしい、などと手放しで褒めるのである。そして、自分は柔軟な感性と思考の持ち主である、とアピールしているだけなのだ。

AIが進化すると、いずれは人間の仕事をAIが奪ってしまうのでは、という杞憂に対して、あくまでもコントロールしたりメンテナンスしたりするのは人間なのだ、という専門家(らしき人)は多い。しかし、僕は昔、手塚治虫の漫画で、ロボットの修理をするロボットというのを見た事がある。AIの暴走を人間は止める事が出来るのか。AI美空ひばりで喜んでいる程度ならいいけどね。

個人的には、AIに期待する事もある。だけど、フレディ・マーキュリーAIなんてのが登場しない事を祈る(笑) それでも喜ぶファンが多そうなのが怖いけど(爆)


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