「そうよ、食間の薬ですもの。」
食事の間に飲ませるに決まっているじゃないの。そう妻が当たり前のように言うので、夫はあんぐりと口を開けて
『矢張りな。』と思うのでした。
「それで、お前自分の時も食間の薬は食事に混ぜてとるのかい?」
母はムッとしたような顔をして父を睨むと、そんな事する訳が無いじゃないのと反発します。
「ちゃんと食事の間に一服して、薬だけ飲みますよ。その後続けて食事をするに決まっているじゃないの。」
その妻の返事を聞いて、夫はこれは困った、と、可笑しさを通り越してしょんぼりしてしまいました。
彼が沈んだ顔で唇を震わせていると、それを見た妻は夫が食間という言葉を知らなかったのだと思いました。
常から世間知らずだとは思っていたけれど、そこまで物を知らない人だなんてと思いました。
「あなた、食間と書いてあるんだから間違えようが無いでしょう。あなたはいつ飲んでいるんです。まさか食後じゃないんでしょう。」
食事を終えてしまっては、食事の間に飲む効果が無いじゃないですか。そう妻に言われて、夫はえっと驚くのでした。
妻はこれはまさに夫の図星を突いたと思うと可笑しくてたまりません。
「あなた、まさか食事前に飲んでいたんじゃないでしょうね。食事の前の薬は食前よ。」
「文字を見れば分かるでしょう。あなたが文字も読めない人とは思わなかったわ。」
そう言って彼女は如何にも可笑しいと、ハハハハハと、夫の間の抜けた顔を見て笑うのでした。
「楽しそうだねぇ、姉さん。」
姉の笑い声につられたように、蛍さんの母の弟がにこやかに病室に入って来ました。
そして何を笑っているのかと、姉の愉快な笑い声の理由を尋ねるのでした。
蛍さんの母は、いえね、実はこの人がこれこれ云々で、と今までの話をすると、
「食間を知らなかったのよ。」
と、また涙を流して笑いだしました。その話を聞いた蛍さんの叔父は、顔は笑顔でしたが声も無く無言で、義兄とベッドの上の蛍さんの顔を交互に見やるのでした。
「それで、姉さん、ホーちゃんには食事の間に薬を飲ませたの?」
「ええ飲ませたわよ。」
「どうやって?」
そう叔父が姉に聞くと、蛍さんの母は
「食事に混ぜて食べさせたわよ。あの子が薬だけ飲むはずがないじゃないの。まだ小さいんだもの。」
子供と犬は同じだって妹が言っていたと母が言うと、叔父は姉さんがと直ぐ上の姉の名前を言うのでした。
「そうよ、あの子が子供も犬のしつけと同じで厳しくしないと駄目だって言ってたわ。」
と蛍さんの母は言うのでした。母の妹の叔母は保母であり保育園に勤務していました。子供の扱いには慣れていたのですが、
躾と世話の話が犬と子供の間で、如何いう訳か母の中では誤解されて理解されているのでした。
「確かに、犬に薬を飲ませる時には食事に混ぜるけれど。」
叔父は絶句しました。
暫くして
「姉ちゃん、子供は犬とは違うぞ。」
そう言って顔を曇らせた弟に、姉は言うのでした。
「あら、お前の時だって何時も食間の薬はそうやって取らせてあげたのよ。姉ですもの、今更気にしてくれなくてもいいけど。」
にこやかに弟の謝辞を期待して、蛍さんの母は叔父に笑顔を向けました。その途端。
ぱしん!
眉を吊り上げた叔父が姉の頬を叩くと物も言わずに廊下に飛び出して行ってしまいました。
一瞬吃驚して、笑顔を引っ込めた蛍さんの母でしたが、夫や娘の手前、直ぐにその場を取り繕うように再び笑顔を取り戻しました。
「あの子ったら照れて、照れ屋なのよ。」
そう言うと、彼女はするすると後ずさりするようにして戸口に向かい、廊下に出ると弟の後を追いかけるように姿を消してしまいました。
「いやあ、これは見ものだったの。」
父は蛍さんに向かってそう言うと、赤い顔をしてにこやかに笑い、如何にも溜飲が下がったという感じです。
「近代稀に見る絶景というやつだったな。」
と父は嘆息するのでした。彼は可笑しくてしょうがないという感じ満面に笑みを浮かべるのでした。