「そうなんですか?家だけだと思っていましたなぁ。」
父が言うと、祖父はそれ見た事かというように、何処の家庭でも、年長者の言う事は皆同じだと言って息子をせせら笑うのでした。
「大体、向こうの年長者もこの縁談には乗り気じゃないよ。」
私にはっきりそう言っていた。そう祖父が自信ありげに澄まして言うと、父はあんぐりと口を開けて、さも飽きれたように、
「じゃあ、何で先方は電話番号を私に教えてくれたんです。変でしょう。おかしいなぁ。あなたの言う事は時折妙だ。」
そう丁寧な口調で言うと、
「おとっちゃんの言う事は時々変だ。辻褄が合わない、ふーん。」
といかにも不満げに文句を言うのでした。
これに対して、明らかに祖父の怒ったような話の内容は続き、蛍さんは、祖父は本当に怒っているのだと確信するのでした。
事ここに至るまで、母や祖母の声がしないのは、多分、男性陣と女性陣という具合に分乗してタクシーに乗ったのでしょう。
彼女は、祖母がいないのなら尚更自分がこの2人の喧嘩を止める役にならないと、と焦るのでした。
今迄も、蛍さんは自分の言葉が出ないのを不思議に思っていたのですが、
自分では、寝返りを打ったり身を動かす事は少し出来ているような気がしていたので、
自分が眠っていないで起きているという事を、バタバタする事で父が気付いてくれる様願っていました。
蛍さんは、自分では盛んに体を動かしていると思っていたのです。お父さんと、声に出して言っているとも思っていたのです。
しかし如何いう訳か父は返事をしてくれず、やはり自分が起きているという事に全く気付いてくれずにいるのでした。
うんうんと、バタバタと、何とか体を動かす努力をしている内に、蛍さんの口からようやくお父さんという声が漏れました。
声に出てみると、何だかそれは籠った木霊のように耳の中に響き、言葉が口から外に出て行くには、未だ相当な労力と努力が必要だという事を彼女に悟らせました。
『すると今まで喋っていたと思っていた声は、口から外に出て行っていなかったのだ。』という事が、この時初めて蛍さんには分かりました。
「お父さん。」
「おい、今お父さんと言ったんじゃないか?」
そう祖父が気付いて言うと、父は蛍さんを揺すって、蛍、目を覚ましたのか?と聞いて来ます。
「お父さん。」
耳の中に籠ったような感じが残っていましたが、漸く声が出たのだと蛍さんには分かりました。
「なんだ、何も言ってないよ父さん。」
そう父は言って、さも馬鹿にしたように祖父の方を見やりました。
「しかし、わしには聞こえたよ。お父さんと言っていたよ。」
祖父は何だか深刻な顔をして宙を見据えるようにして言うと、 ホーちゃん、起きているんだろうと蛍さんに問いかけて来ます。
蛍さんはうんと言うと、お父さんが全然気が付いてくれないんだと言い、
さっきからバタバタ動いているのに、起きている事にも気付いてくれないのだと話します。
それは声にならない声でしたが、祖父は気付いてくれたようでした。
「運転手さん、直ぐに近くの病院に行ってくれ。」
祖父が決断したように確りとした口調で支持すると、運転手さんも、今までの父息子の会話で事情を察していたのでしょう、
「丁度すぐ近くに良いお医者様が有りますよ。小さい病院だけど先生の腕はいいから、
大旦那さん、安心してください、なぁにまだ間に合いますよ。」
そう言うと、彼は車のスピードを上げ、猛スピードで病院めがけてまっしぐらに車を飛ばすのでした。