「お前母さんを見たかい?」
病室の隅に置かれた水枕の山を尻目に父が尋ねました。
何時から起きていたんだい 、目が覚めた時側に誰がいたんだい。そんな事を父は静かに蛍さんに尋ねて来るのでした。
彼女が、10時のおやつの時間が済んで お昼に近い時間だって、お兄ちゃんがそう言ってベッドの側にいたと答えると、
父は、お母さんは?側にいなかったのかい、と確認するように尋ねるのでした。
「お母さん、全然見てないけど。」
蛍さんが答えると、父は何だか身を起こして廊下の物音に耳を澄ませました。
「お前そこに居るんだろう、入って来たらどうだ。」
え父はそう言うと箸を下ろし、盆に載せると立ち上がりました。
そうしてその儘廊下に出て行き壁の向こうでヒソヒソ話し合う気配がしていました。
廊下の方から特に何も物音が聞こえなかった蛍さんは、父が急に廊下に出ていった理由がわからずキョトンとしていましたが、
目の前のお盆の料理を眺め、食事途中にお預けを食らった気分になっていました。
お箸もそこにある事だしと、箸を手に取ると1人で食事を続けました。
廊下のヒソヒソ話しは聞こえていましたが、蛍さんに内容は分かりませんでした。
その後、食事途中にふいに母が部屋に入ってきました。
「あれ、お母さん、どうしたの?」
蛍さんは意外な母の出現に驚きました。彼女は母が病院にいるとは思わなかったのです。
母は特に何も言わず、少し沈んだ表情で蛍さんの手から箸を取ると、彼女に食事を取らせようとしましたが、
蛍さんは母の手から食事をとる事に抵抗があるのでした。
何しろ普段から母に食べさせて貰った事がないので慣れません。要領を得ないので食事がポロポロこぼれるか、口の端じにくっついてしまいます。
「もういいわ。」
自分で食べるから、そう言うと蛍さんは、箸を貸してと手を出して母から箸を受け取ると自分で食べ始めました。
が、気分が沈んで食欲がなくなり、すぐに箸を下ろして仕舞いました。
お腹は空いていましたが、もう要らないというと、母に背を向けて横になって知らん顔をしていました。