Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

今日の思い出を振り返ってみる

2019-01-20 15:29:10 | 日記
 
傘の思い出2

 学業の方を辞めてしまった私は就業の意欲も全く欠いてしまい、半年が過ぎ、その後の翌年正月に、所在無く投稿した某新聞の新春文芸で詩の部門に入選しました。新聞を広げて佳作欄に自分の名前......
 


 自分の作品を認めてもらえた嬉しさを噛みしめた新年でした。本来なら自分の名前を公の新聞で見ると恥ずかしくなってしまう私なのですが、ペンネームだと何度も見返して1人ニコニコとしていました。この後も私の詩は新聞で載る事が有り、選者の方が共同主催しておられた文学会への誘いを受けると、私は参加する事になりました。


ダンスは愉し 2

2019-01-19 18:57:34 | 日記

*最初に書いた「ダンスの愉しみ 2」とは違いますが、書き直したものをここに上げておきます。

 「 すずちゃん、心配しなくて大丈夫よ。」

お遊戯の指導の1人の先生が鈴舞さんに声を掛けました。先生は彼女以外にも不安そうな顔付きをしている子の名前を次々と呼ぶと、皆んなちゃんと出来るようになるから大丈夫ですよと、不安を和らげる為に声を掛けるのでした。

   少しずつやるから、皆で音楽に合わせて踊る内にちゃんと皆踊れます。確信を持った先生の声でした。出来ない、お母さんに叱られる。前に踊れなかった。など言う声が数人上がり、鈴舞さんは同年代の経験者の子達の声に嫌な予感を覚えるのでした。

 彼女は顔をしかめました。それは他のお遊戯未経験な子にも同様だったのでしょう、先生達は再度キッパリとしたように出来ますと言うと、お母さんに言っておいてあげます。今度はちゃんと出来ますよ。皆前の時より大きくなったからね。等、指導の上で不安要素になる子供達にキチンと対処の言葉を投げ掛けると、早速もうレコードが掛かりだしました。

 こうして、不安を抱えた鈴舞さん、そして他の皆はその時の遊戯に取り掛かる事になりました。しかし、先生達が言った通りでした。何日かすると鈴舞さん達はお遊戯を全て覚え、きちんと曲に合わせて踊ることができるようになっていたのです。

 なるほどと、鈴舞さんは思いました。この時彼女は踊れるものなのだなぁ、出来るものなのだなぁと、お遊戯というダンスに何かしらの手応えを感じていました。所謂達成感を覚えたのでした。

 しかし、この経験から、彼女が以降の学校行事のダンス全てに気楽に取り組めた訳ではありませんでした。運動会であれ学校祭であれ、出し物の踊りを覚えるという最初の日には、彼女は『出来るかしら?』と、お遊戯の最初の日に感じたと全く同じ緊張感と不安感を覚えるのでした。それで彼女は尚更の様に指導の先生から一時も目を離さず、必死に耳を傾けて先生の言葉を一言も聞き漏らすまいと集中すると、熱心に振付を習得するのでした。

   


消えてしまった2

2019-01-19 16:39:48 | 日記

 今日記事を書こうとして気が付いたのですが、「ダンスの愉しみ 2」が消えてしまいました。

間違えて削除したのでしょうか?

何時も注意して下書きだけしか削除しないのですが、記事の中から無くなってしまいました。

余裕があれば何時か書き直したいと思います。園児時代の最初のお遊戯を覚えた頃の話が書いてありました。

真面目にせっせと先生方の指導の下きちんと踊れるようになったという事が書いてあったのですが、消えてしまったのでは仕方ないですね。


ダンスは愉し 6

2019-01-18 13:39:34 | 日記

 鈴舞さんや母が当てにしていた父にしても、最初はおう、そうか日舞か、と明るく言いつつ、色よい返事をしそうになりながら、

「…考え物だな。」

奥の襖に隠れるようにして顔だけ出して息子を見やる母の顔色に気付くと、そう呟くように声を落として直ぐには答えを出さなかったのでした。

 その後、父は部屋に落ち着くと、稽古場や師匠の名前など母の方に尋ねたのでした。無論母には分からず、鈴舞さんの母は次の稽古の日に娘に付き添って行くと、師匠にあれこれと名前や流派など尋ねて、稽古場の雰囲気など見て取って帰って来たのでした。

 父は母子から子細に稽古場での様子を聞くと、再び「やはり考え物だな。」とこぼしました。

「そんなあなた、師匠には立派な源氏名迄有るそうですよ。」

と母が娘の為に取り成して言うと、「駄目だね。」と、彼は急に眉を聳やかして一蹴すると、この習い事の話はこれで終了となったのでした。しかも、「もうこの話はしないように。」と父は真顔で頗る機嫌が悪くなり母子に釘を刺したのでした。

 その様な訳で、鈴舞さんが日舞を習うというような話は全くの立ち消えとなって仕舞ったのですが、その内この稽古場も鈴舞さんのご近所から消えてしまい、彼女が日舞について耳にする機会も無くなって行きました。

 後に彼女は発表会の練習だと誘われて、連れて行かれた稽古場でお祭りの着物の晴れ着を着た子達を見る機会がある迄、鈴舞さんは羨ましさからまた日舞を習いたいとは思は無かったのでした。が、結局は習い事をおねだりする彼女に、前回同様の結果が待っているだけなのでした。しかも今回は母も地域の事情をわきまえていて、父同様、娘ににべも無い態度で臨んだのでした。


ダンスは愉し 5

2019-01-17 10:16:34 | 日記

 鈴舞さんの日舞の見学1日目は、この様な感じで終了しました。これ以外に特に師匠のご機嫌を損ねるという様な事も無く、友達の稽古にお叱りも無く、何しろ皆習い始めて日が浅く、練習時間もそう長く無く終了したので、全ては滞りなく済んだのでした。「今の所を家で練習するように。」と、初心者の弟子達に申し付けると師匠は鈴舞さんに顔を向け、

「まぁ、あんたも習う気が有るからここへ来たんだろうからね、」

そう言って、もう2回くらいは通ってみるかいと、家の人に聞いてからだねとにっこり笑って微笑むのでした。

 「日舞を習いたい。」

早速家に帰った鈴舞さんは母にせがむのでした。にちぶ?要領を得ない母に、踊りだよ踊り、日本の踊りだよって、皆が言っていたと彼女が言うと、母は、ああと、日本舞踊だねと笑い。あんなものに興味があるのかと、へええと妙な顔付をして娘を見ると笑うのでした。

「ま、お父さんやお義母さんに聞いてからよ。」

と、母は言いましたが、多分習ってよいだろうと鈴舞さんに快諾の返事をするのでした。

 が、事はそううまく行かず、結果から言うと鈴舞さんは日舞を習う事が出来なかったのでした。父の反対があったのか、祖母の反対があったのか、鈴舞さんには不明でしたが、母から彼女の希望を聞いた祖母はええと言葉も無く呆れ返った声で

「お前さん、娘を芸妓にでもしたいのかい。」

と嫁を諭したのでした。