幸いな事に、この真摯な態度と集中力で、彼女は学校時代の行事で行われたダンスの振り付けを完璧に熟す事が出来ました。そして、行事本番の日になる頃には、その音楽に合わせて踊るという行為が心底大好きになったのでした。けれども、その事で彼女はダンサーになる事や何かしらの舞踊について興味を持った訳ではありませんでした。踊り手になるという事など夢々思わず、何かの踊りを習おうという考えなども微塵も彼女の脳裏には浮かばなかったのでした。学校時代の彼女にとって、踊りは精神的に開放される清々しい愉しみ、恒常的な学業に抑鬱され、身体的にも鬱屈した日々の気分転換になる運動の1つだったのです。
行事が終わるとダンスは終わりを告げ、その事に彼女は特に不満も持たずにその時覚えた踊りを終了するのでした。彼女は踊る相手が必要なダンスは忘れてしまいましたが、人の入れ替わりなく輪になって只踊る様なダンスは単独で踊る事が出来る為、その後もその曲が流れると自然ステップを踏んだりする事がありました。そんな時はその踊りを覚えた時のグランドや空の色などが明瞭に彼女の瞼に思い浮かび、日常気にも留めなかった頬吹く風に気付いたりするのでした。彼女にとってダンスは憩であり自然からの贈り物のように感じる癒しの時をもたらしてくれる物でした。また、彼女の内にある感性が自然の万物に共鳴する時空を作り出してくれるリズムなのでした。
そんな彼女が園のお遊戯の次に出会ったのが日舞でした。ある日の午後、近くに住む集団登園のお友達が2、3人、習い事に行くというので、彼女は「すずちゃんも一緒に行かない?」と、誘われるままに彼女達について行ったのでした。行ってみるとその日本舞踏の稽古場は鈴舞さんの家から割合すぐの、小さな路地にある長屋の様に家が続いた1棟の家の2階に有りました。
『こんな所に…』彼女は思いました。同い年の女の子達が通う日舞とか言う踊りの場所が有るのかと、小さな玄関引き戸を潜り、狭く暗い階段を上りました。稽古場に出た彼女はきょろきょろと縦長な9畳程の部屋を見渡しました。屋根裏をそれ風に設えたようなこじんまりとした稽古場でした。鈴舞さんは部屋に存在している光沢のある木の柱や廊下、畳みの踊り場を興味深く眺めました。それらは一般家庭にある物より小作りに見えました。木の廊下は弟子が正座して自分の順番を待つ場所であり、廊下から一段上がった畳の並ぶ場所が日舞を習う稽古場、舞台となる物のようでした。部屋には先生に当たる女性師匠と弟子兼助手が2人程と、鈴舞さん達より先に来ていて、踊りを習いながら踊っている最中の弟子の女の子が数人いました。
*「ダンスの愉しみ」は、題名を「ダンスは愉し」に変更しました。