「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

ロナルド・レーガン・・・から話がそれるが

2012-04-26 00:02:31 | 本/音楽/映画
他人から、ネアカでユーモラスと思われるような人は得である。この人は政敵も多かったが、個人的には多くの人に敬愛された。私も、いつも明るいこの人が好きだった。



昨年の終わりに出た本。なんとなく買ってしまった。



不思議なことにこの人は他人の葬儀に出るのを避ける傾向があったらしい。一緒にしたら叱られそうだが、私もそうだ。

私は葬儀が苦手だ。だからたいした縁もなかった人の葬儀に出るなんて、出来れば避けたい。また逆に、たいして縁もない人に(いや仮に縁がおおいにある人でも)自分が死んだ時に遠路おはるばる運び頂き、悲しんでもらいたいなんて全く思わないので、私の遺言書には「葬儀は不要」と書いてある。人間死んだら終わりなので、わざわざ死んだ私のところまで他人に来てもらい私にお別れをしてもらうことなどおこがましい・・・というか、「お互いもう面倒でしょう?」という気持ちだ。

私の父も同じで、父の口頭での遺言は白州次郎と同じで「葬式不要・戒名不要」。父の死後、私は父に言われたとおりにした。



ついでに言うと結婚披露宴にも、出席することを避けたいと思うものが多い。

大抵の場合、披露宴出席者は新郎あるいは新婦のどちらかのみとどこかで係わりがあった人々というだけで、その多くは相互に顔見知りなわけではない。宴が終わるとまず二度と会うことがないと言うのに、その場限りで一堂に集合させられているわけで、共通の趣味や関心があるわけでもない。さらに出席者も歳をとって来ると、自分より若い新郎新婦には披露宴後個人的に会うことすらなかったりする。そういう無関係な大量の人々に囲まれ、数時間座らされ、決まった料理を食べさせられ、話がでたらめにヘタな人々が次々と紹介する新郎や新婦の独身時代の話、あるいはヘタな歌を延々と聴かされることに耐えらず、こちらは結果として貴重な休暇を失い、しかもお祝いまで差し上げねばならない。

それでも自分が若い時は良かった。なぜなら新郎新婦が自分と同世代で本当の友達であり、その後もたびたび付き合うことになる相手だったからだ。しかし今や有害無益。

なんて憎まれ口を叩いていると、私の周囲はいつも賛否両論。「そのとおり!」というのは、やや年齢高めでやや男性寄り。私を変人扱いするのは、やや年齢低めでやや女性寄りかな。



加えて日本ってどうしてあんなに現金をやりとりするのだろう? 葬式、結婚、入学、就職、出産、新築、医者の謝礼、議員への謝礼、お年玉。相互扶助のひとつとも言えるだろうが、あまりに露骨で拝金主義的と感じるが。

話が元大統領からそれてしまった。いきなり話が戻る。彼は魅力的でかつちょっと変わった人だったようだ。何事も個性が大事。どうぞ、この中公新書をお読みください。
コメント (2)
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