思い出した。「あるある」捏造問題でも、<検証番組>が放送されたのだった。テレビ局が大きな不祥事を起こした際に、その総括というか、幕引きというか、ミソギというか、「このあたりで、この問題にはエンドマークを」というタイミングで流されるのが検証番組なのだ。これは「TBSオウムビデオテープ事件」のときにも行われた。
関西テレビが「あるある問題」検証番組を流した直後、読売新聞から論評を求められたことも思い出した。記録として再録しておこうっと。
問題は“現場”で起きている
4月3日、関西テレビ「発掘!あるある大事典Ⅱ」捏造問題の検証番組「私たちは何を間違えたのか」を見た。そして、最も驚いたのが直接捏造を行った制作会社アジトのディレクターへのインタビューだ。彼は何度か登場するが、同じ話を繰り返す。「面白く、分かりやすく、インパクトのある、魅力的な番組にしようと思った」と。そう思うこと自体は間違っていない。だが、ほとんどの作り手は捏造を行わない。勝手な都合で捏造が出来た理由が知りたいのだ。
しかし、Aの答えは「他のスタッフも自分も頑張った」。だが、自分は「頑張り方を間違えた」。その原因は「分からない。僕の人間性かもしれないし、モラルの低さかもしれないし、環境がそうだったのかもしれないし、難しいですね」だった。画面上は顔が見えず音声も変えてあるため、微妙なニュアンスは伝わらないが、どうやらこれが本心、というよりこの程度の自覚しかないらしい。そう思ったとき、何とも言えない情けない気持ちになった。捏造という行為が、テレビだけでなくメディアそのものにとって、どれだけ大きな罪かという認識がない。かすかに期待していた捏造に対する葛藤や苦しんだ様子も見えない。
「事件は現場で起きてるんだ!」と叫んだのは、織田裕二演じる『踊る大走査線』の主人公・青島刑事である。「あるある」の場合も、まさに問題は(制作)現場で起きていた。では、なぜこの現場に「捏造を行う作り手」が存在したのか。それは、捏造という禁じ手を使うことによって作り手が二つのものを得られたからだ。一つは<評価>、そしてもう一つが<報酬>である。外部委員会の報告書には、このディレクターが関西テレビと日本テレワークの担当者から「ダイエット番組で高視聴率が取れる有能なディレクター」として高い“評価”を得ていたことが記されている。捏造さえ発覚しなければ、今も彼は番組を作り、相応の“報酬”を受けていたはずだ。
しかも番組によって報酬(利益)を得ていたのはディレクターだけではない。アジト、日本テレワーク、関西テレビ、広告代理店の電通、さらに高視聴率番組でCMを流していた花王も同様である。それは捏造に対する認識の有無とは関係のない事実だ。
また、この現場には別の問題もあった。調査報告書によれば、関西テレビが持つ「あるある」1本の総制作費は3205万円。そこからVTRを担当する再委託(孫請け)制作会社に渡るのが887万円だ。しかも、前払いではなく放送後の支払いであり、制作会社は銀行から借金をしながら作る。何としてでも完成して放送しなければ回収できず、途中で「やはり納豆にダイエット効果は望めない」などと白旗を揚げるわけにはいかない。小規模の会社にとっては死活問題だからだ。さらに視聴率を取ることが求められる。「あるある」の孫請け会社は9社。「面白くて、わかりやすくて、しかも高視聴率」を実現できなければ、現場から外される可能性さえある。無理・無茶・無謀が生じる土壌だ。
もちろん、これらも捏造の言い訳にはならない。作り手個人に帰する問題が多すぎる。ただ、「あるある」の制作体制・環境が、作り手にとって強いプレッシャーとなっていたこと。また、この構造が決して珍しいものではないことは認識しておくべきだろう。
直接の作り手や制作会社、また放送事業者としての放送局が、モラルや責任を厳しく問われるのは当然だ。だが、同時にメスを入れるべきは、「放送という名のビジネス」に重点を置く視聴率優先主義と、それを基盤とした番組制作の構造、さらに格差社会の縮図のような制作現場の実態である。外部委員会の報告書にあって検証番組になかったのはこの視点だ。
「読売新聞」(2007年4月8日)